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セカンドノベル 物語を語ること、セクションEx2

 『セカンドノベル』(*1)の主人公・彩野は「軽度の逆行性健忘」と「重度の前向性健忘」という2つの記憶喪失を抱えている。この記憶喪失は、彼女が高校時代に屋上から転落した事による後遺症である。そして、彩野が屋上から転落する直前にはユウイチの転落死も起きている。
 この二つの悲劇から五年。
 二つの転落の経緯、それに至るまでの彼ら自身の意志・願い・感情といった彼ら個人にしか知り得ない事情は、彼らに訪れた死と記憶喪失によって失われている。これが『セカンドノベル』のスタート地点だ。

・スタイルとしてのミステリー

 『セカンドノベル』のFragmentモードは、彩野が語る物語(Story)を記録し、積み重ね、場合によっては分岐させ、そうして複数の物語を編む事で、その失われたものへ近付こうとする。
 この試みは、ジャンルとしてのミステリーにおける手法に近いと言いうるだろう。
 ミステリーとして、『セカンドノベル』を捉えるならば、「なぜユウイチと彩野は飛び降りたか」というホワイダニットが「セクション1」から「セクション7」に至るまでの主題となる。「過去に事件があり」「関係者の一人は死に」「もう一人はその時の記憶を失っている」という設定そのものはミステリー的であり、学校の七不思議といった道具立ても含めて、語られる物語はミステリーに近い。
 何よりも、死や記憶喪失によって過去への直接的なアクセスを断つ手法は、ミステリーに特有の手法である。死人に口なし。事件に最も近い人物が語らない事によってミステリーは成立する。
 そして、ミステリーとしての『セカンドノベル』では「セクション7」は「解決編」であると言えよう。「セクション1」から「セクション6」までの「出題編」を通して議論された過去の出来事やそこで語られた物語に対する解決が「セクション7」では行われる。

直哉「僕はこれからユウイチになる」

 いままで「聞く」立場であった探偵役自らが過去にあった事態を再現しようとするこの場面は、まさにミステリーの定型と言って良い。

・彩野における不可能性

 一方、ミステリーであれば、その目標には秩序の回復がある。誰が行ったのか、何故行ったのか、どう行ったのか、そうした謎・混乱に対して一貫した秩序を取り戻すのが、ミステリーの目標である。
 だが、「重度の順行性健忘」を持つ彩野は15分ごとに記憶がリセットされ、その15分間で得た記憶は失われる。
 同級生が就職し社会人となっても、彼女の記憶は高校生のまま、その後の経験は記憶としては蓄積されない。『セカンドノベル』の冒頭で述べられているように、彩野の障害は器質的な問題であり、二つの健忘によって失われたもの・得られなかったものが、回復される余地はない。「良くある物語」のように、「過去を認識することが現在を改善すること」あるいは「何らかのきっかけで過去を思い出す」などといったことは初めから排除されている。
 このように彩野の喪失は、決定的な喪失である。
 それは、死者が過去を語らないのと同様に、過去の出来事を思い出せない、という事だけに止まらない。彼女は重度の順行性健忘、十五分ごとに訪れるリセットによって、新たな記憶を得る事がない。改善される余地もない。
 つまり、彩野は高校生時代の彼女から変わりようがない。彼女は変化する事からも排除されている。

女子生徒「彩野さん、最近の調子はどうですか?」
教師「ん、特に変わりはないよ。何も変わっていない。何も」

 「セクション8」、「彩野の物語」が完結した後の場面での千秋と直哉の会話は、このことを端的に示している。

・物語を語る

○この日から、彩野さんが学校に行くことはなくなった
○たぶん、おそらく、『彩野さんの物語』は、これで完結したのだ

 『セカンドノベル』の冒頭、学校を訪れた彩野は突然物語を語り始める。彩野は直哉と共に毎日学校の教室に向かい、「セクション1」から「セクション6」までの物語(Story)を語り、あらすじをまとめ、選択肢を検討する。
 そして、直哉の仕組んだ「セクション7」の物語に参加することによって、学校に行くことはなくなり、彩野の学校や物語への拘泥は解消される。
 ここには、彼女にはあり得ないはずの変化が存在している。それは何故か。

 Storyモードの物語は単に物語として思い出されるのではなく、彩野自身が語るという行為を伴っている。つまり、過去に実際に起こった事、実際に起こったと信じられている事、佐倉(*2)と彩野が作った物語、あり得た可能性、そういった諸々の「物語」を実際に彩野が探り当て、語り、遂には直哉の仕組みに乗って物語自体に参加する。
 佐倉との約束によって、当初は友人同士の他愛ない交換日記として、佐倉の死の後は半ば脅迫観念的な思いに駆られて。彩野が転落する前の1年間、彼女にとって物語を書く事(それはより本質的には語る事……佐倉と彩野とは友人同士として学校の噂話やおまじないを語り合うような、そんな学校生活を送りたかったのだから)は彼女の時間の多くを占めていた。
 転落し記憶を失った後も、物語を語るという「身についた」行為そのものが未完のまま残り続け、転落から5年経ってなお彩野には物語を語る必要があったのではないか。

 彩野の母や由加里と直哉が交わす会話では、エピソード記憶の追記が不可能となる前向性健忘であっても、「体が覚える」ような手続き記憶の可能性は残る、と指摘される。『セカンドノベル』中ではこの機序についてこれ以上の考察はなされないが、現在の彩野にとって、未完のままであった「彩野の物語」を語りきる事、完結させる事は、単純に過去の記憶から与えられる意志ではなく、彼女自身の身についた「手続き記憶」の一環としてあった、と解釈できる。

・物語を聞く、物語に照らされる

 彩野以外の人物、直哉・由加里・千秋にとっては、彩野の記憶喪失のような特別な障害はない。「彩野の物語」が語られる場に参加する事で、知り得なかった過去の出来事を知ることができる。
 そして、「彩野の物語」から彼らが得るのは、単に過去の出来事を知る事だけではない。「セクション1」から「セクション7」までの「彩野の物語」には多様な物語(Story)が内包されている。それらの物語は、彼ら自身をモデルとしつつも、内包された物語の語り手である彩野や佐倉自身の希望や想いや傾向が色濃く投影されている。この多様な物語によって、彼らは単に過去に知り得なかった出来事だけでなく、より大きな意味での喪失、彩野・ユウイチ・佐倉の希望・想い・傾向・内心など、を照らし出す事となる。

・さらに物語を語る

 そして、『セカンドノベル』全体を通してみれば、登場する六人(彩野・ユウイチ・佐倉・直哉・由加里・千秋)全員が『セカンドノベル』に内包される物語のモデルであり、それら物語を語り出している。そうして、物語を語る事で語り手自身が物語に立ち現れる、という作用は同様に彼らそれぞれを照らし出している。

○……でも、≪この物語≫は、もう少しだけ、つづく。

 「セクション8」の後にもう少しだけつづく中で示されるのは二つの「セクションEx」である。Ex1は由加里が語る由加里とユウイチの物語であり、Ex2は千秋が語る佐倉と直哉の物語(*3)である。
 この二つのセクションは「セクション1」から「セクション7」までの「彩野の物語」では拾い上げきれなかった想いへと向けられている。

ある、選択肢を選んだ『物語』で満たされなかった想いを別の『物語』で満たしている

 この引用にあるように、『セカンドノベル』で多様な物語が語られた動機は、一つの物語(それは単に物語であるかもしれず、あるいはほとんど現実に近いかもしれない)では回収しきれない想いを別の物語で満たそうという語り手の意志である。そして、「セクションEx」の二つの物語は、想いを残して世を去った二人、ユウイチと佐倉に向けられた物語である。
 これらの物語はユウイチと佐倉に起こった事を変えるわけではない。それは「彩野の物語」が過去に起こった彩野の記憶喪失を回復させないのと同様である。だが、「彩野の物語」を語る事が現在の彩野にとっては必要であったのと同様に、由加里と千秋にとってユウイチや佐倉の物語を語る事そのものが、残された想いを知る彼女たちにとっては重要なのである。

 『セカンドノベル』最後のシーン、直哉と佐倉が集めたお話をまとめて文化祭で売る、そこに集まる六人。実際にはあり得ないシーン。だが、このシーンを好ましいと≦わたし≧が思うとき、物語が語られる端緒となる。