彼女のいた空

text by くわね(kuwane@fc4.so-net.ne.jp



昭和20年8月6日 1130時 愛媛県 松山飛行場

 先に飛行場へと降りた浩之は、簡単なレポート提出と、技官からのやはり簡単な聴取を受けたところで何もすることがなくなって、基地の中に生えている楡の木の木陰でマルチが降りてくるのを待っていた。
 話がしたい。そう思ったのだ。
 長瀬に頼まれたということもある。震電改の「機嫌」を損ねないコツも聞きたかった、というのもある。もちろん、プロではない、普通の女の子と話す機会が貴重だと思う気持ちがなかったと言ったらウソになる。

 しばらく待っていると、マルチの乗る震電改が浩之の目に捉えられた。
 それはまさに教科書通りといえるようなスムーズな二点着陸をすると、そのままタキシングをして格納庫まで進んだ。震電改はそこでエンジンを切ると、あとは九五式小型乗用車を改造した牽引車が格納庫の中に引っ張っていった。
 普通なら、エンジンを停止させた時点でパイロットは機体から降りるのだが、マルチは降りてこなかった。それだけでなく、震電改の機体が格納庫の中にはいるとすぐ、格納庫の扉が閉められた。
 機密保持。ま、そうだよな。うん。あいつも大変だ。
 その一部始終を眺めていた浩之はまだちゃんと会話も交わしたことがない「戦友」に同情した。
 それからさらに待ったが、格納庫からマルチが出てくる気配はなかった。
 何やってるんだ、と思い、そこでようやく浩之は、マルチはロボットなんです、という長瀬の言葉を思い出した。
 子どもの頃に読んだ、空想科学冒険小説にそんなのが出ていたことも思い出す。それによれば、ロボットは機械だ。ならば、やはり機械である航空機と同じく整備を受けなければならない。実験機ならばデータだって取らなければならないだろう。
 ただ、パイロットが一人きりなので宿舎に帰っても、寝るか、私物として持ち込んだ、暗記するほど繰り返して読んだ歴史小説を読むくらいしかする事がなかった浩之は、待つことにした。
 曲がりなりにも迎撃戦闘機のパイロットだった彼は、待つことには慣れていたのだった。今座っている木陰が、宿舎よりも風が通る分だけ涼しいように感じられたことも、その待つことを助けていた。


「少尉、藤田少尉」
 いつのまにか寝ていたらしい浩之は、少女の声で目を覚ました。
 少女?という疑問が、まだ覚醒しきっていない浩之の頭をよぎる。
 そして、少し考えて納得する。そうだ、マルチだ。
「ああ」
「どうされたんですか?こんなところで」
 目の前に、浩之の、それなりの厳しさを持った基準でも十分に可愛らしい、そう言っていい少女の顔があった。だぶだぶの飛行服を着た少女は中腰で、地面に腰を下ろした浩之をのぞき込むような姿勢をとっていた。
「おはよう、ええと、マルチ」
 そういえば隊司令も長瀬技官も、彼女が軍属なのかなんなのか教えてくれなかったな、そう思いながら浩之はマルチに返事をした。
「おはようございます」
「ちょうどよかった、実は、君と話をしたい。そう思って待ってたところなんだ」
 ぺこり、と頭を下げたマルチに、普段に比べて幾分かやわらかい口調で、浩之は言った。
 そしてマルチとぶつからないようにゆっくりと立ち上がる。
「宿舎の方で、ちょっと、いいかな?」
「え、あ。はい」
 立ち上がった浩之を、今度は見上げるようにして、マルチが答えた。

 寝台を椅子代わりにして、浩之は軽く自己紹介から始めることにした。彼もマルチもこういうシチュエーションに慣れていなかったので、妙にぎこちなかった。
 それでも浩之は、マルチの名前がカタカナで「マルチ」であると言うことを知り(由来は彼女も知らなかった。だが、マルチを作った計画がチ号計画とかそういう名前だったんじゃないか(つまり丸囲いのチ)、と浩之は思った。)、詳しいことはよく分からないが飛曹長待遇だと言うことも知った。
 マルチは浩之のファーストネームが気に入ったのか、彼女は浩之のことを「浩之さん」そう呼んでいいですか、と聞いた。浩之は少し迷った上で、まあ、他の人間がいないところでは、という限定付きで頷いた。
 その、いささかぎこちない自己紹介の空気を引きずったまま、浩之は本題、あるいは彼がそうだと思いこもうとしていた話題、に入ることにした。
 震電改の機嫌を損ねない方法である。
 結果的に言えば、それは彼が震電改を飛ばす上でなんら有益なヒントをもたらさなかった。マルチが震電改を飛ばすやりかたは、彼にはマネできそうになかったからだ。
 彼女がたどたどしく語った話から必要な部分だけを取り出して要約すると、マルチは頭部をはじめとしたその体にあるいくつかの接続端子に震電改からのケーブルをつなぎ、それでもって機体と一体になって飛行する。そういうことらしかった。
「そうするとつまり」
 一通り説明が終わったところで、浩之が聞いた。
「右に行こうと思えば右に行くし、左に行こうと思えば左に行く訳か」
 こくり、と頷くマルチ。
 それを見て難しい表情になった浩之に、マルチが頭を下げる。
「あの。ごめんなさい。私、自分のことなのに上手く説明できなくて」
「謝らなくていいよ。今考えてたのは別のことだから」
「別のこと、ですか?」
 そう言って小首を傾げたマルチに、一息おいて浩之は言った。 
「あのさ、マルチ。空飛ぶの楽しいか?」
 マルチは少し眉をひそめ、悩んでいるような素振りを見せた。
 そして、しばらく黙り込んで、一言答えた。それが不必要に明るい口調だと、浩之には思えた。
「わかりません」
「そ、か。すまんな、訳わかんないこと聞いて」
 わかりません、か。苦笑いを浮かべながらそう言った浩之に、今度はマルチが質問をした。
「あの、どうして、楽しいか?なんて?」
「手足を操るみたいに考えるだけで空が飛べたら、楽しいかな、そう思ったんだよ」
 そこまで言ったところで、浩之は部屋の入口に人が立っているのに気がついた。誰かは影になっていて分からなかったが、どうも兵隊らしかった。
「誰か?」
 食事の支度が出来たそうです、と影が答えた。マルチと浩之が話していたところに、割り込むタイミングがつかめなかったらしい。
「もう、そんな時間か。ありがとう」
 そう言うと浩之は立ち上がり、伸びをして体をほぐした。
「マルチはどうするんだ?」
「私は、これから充電です」
「そうか。じゃ、今日はお開きだ。また話、しような」







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