小さい頃は
大きくなることがよくわからなかった
季節が巡り来ることも
不思議だった


ONEからさめない


text by くわね(kuwane@fc4.so-net.ne.jp


#4 言葉の庭園

 バスのタラップを降りて地面に立つと、バス特有の少しこもった低いエンジン音にまぎれて、足元から乾いた音がした。
 枯れ葉を踏んだのだろう。
 週に1度ぐらいのペースで、本を読んでもらいに私はバスに乗って中央図書館に出かける。
 私みたいに目が見えなかったり、弱視だったりして本や手紙が読めない人に図書館の人が朗読をしてくれる「対面朗読」というサービスがあるのだ。ただし、私の住んでいる市では、そのサービスは中央図書館でしかやっていない。
 中央図書館は、一番近いバス停から公園沿いの静かな道を私の足で10分ぐらい歩いたところにある。
 たん、たたん、たったんたたん。
 白杖で軽くリズムを取りながらその道を歩くのは、とても気持ちがいいということに気がついたのは、最近のことだ。
 以前は白杖なんてほとんど使わなかった。家にはあったのだけれど、それを使わないと行けないような所には、出かけなかったから。
 家と、家の前と、その先の学校と。
 そこで繰り返される「終わりのない日常」。
 たったそれだけが、私の世界のすべてだった。
 世界はとても広いと言うことを、私は拒否していた。

 カウンターに来意を告げると、無愛想なおじさんの声が返事をしてくれた。
「対面朗読の川名さんね。今担当の深町さんを呼ぶからちょっと待って」 
 この声は、伊福部さんだ。
 とても機嫌がいいときだけ、少しだけ可愛い部分を見せてくれるけど、そういうことはあまり、いや、滅多にないおじさんだ。もう少し、普段から愛想が良くても罰は当たらないと思うんだけどな。
「みさきちゃん、こんにちは」
 そんなことを考えていると、深町さんが声をかけてくれた。
「こんにちは、深町さん」
 深町さんは、中央図書館の司書さんだ。
 今年でもう49歳になると自分で言っていたけれど、声はとっても若々しい。
 最初に会ったときにそういうことを言ったら、温かい手でぐりぐりと頭を撫でられてしまった。少し照れ屋さんな、私の大好きな人の一人だ。
「今日は先週の続きだっけ?」
 対面朗読室という専用の設備がある部屋で、私に椅子をすすめてくれながら、深町さんが聞く。私の、はい、という答えから少しして、深町さんが椅子を引く音がして、それからページをめくるしゃっしゃっ、という音。
 そして、静かな声で朗読が始まる。
「第五章 また当分の間、この手紙をあなたにしたためることができそうです。五島布教から戻った時、役人達の探索が村で行われていたことは………」
 江戸時代。鎖国をして、キリスト教も禁止した日本に、少しだけ残っていた「かくれキリシタン」の人のために、キリスト教の火を消さないために、わざわざポルトガルから日本に渡ってきた宣教師のお話。
 遠藤周作、という人が書いたお話。
 初めてこのサービスを利用したとき、深町さんに「きれいな日本語の本を紹介して下さい」といったら紹介してくれたのが遠藤周作だった。
 その時以来私は、この人が書くきれいなことばが大好きになって、遠藤周作の本をずっと読んでもらっている。
 この人のことばは、誰にでもある暗い想い出や、嫌な想い出を、やっぱり暗かったり嫌だったりはするのだけれど、少しだけ乾かして、変な言い方かも知れないけど、食べられるようにしてくれる効果があるような気がするのだ。
 淡々と、感情をあえて抜いたような読み方をする、深町さんの朗読のせいかも知れない。
 色がついていない透明な言葉は、私をやさしく包んでくれる。

 対面朗読の時間は一番長くて2時間と決まっているので(それは、読む人が大変だからだろう、と思う)、切りのいいところで深町さんは「きょうはここまでね」と言って、朗読を終えた。
「ありがとうございました」
 と私は頭を下げる。
「みさきちゃん、今日はもう帰るの?」
「お正月に読む本を借りてから、帰ろうと思ってます」
 なら、おつきあいするわね、と深町さんは左肘を貸してくれた。その左肘をしっかりと握って、私は深町さんの斜め後ろを歩いた。
 中央図書館には小さいけれど点字コーナーがちゃんとある。
 そこで、4、5冊の本を取ってもらい、閲覧コーナーへ。
 点字の本は重いから(普通の本一冊が三冊になってしまうのだ)、面白そうな本をあたりをつけて借りないと、家に帰ってからとても後悔する。
「じゃ、後で来る?」
「あ、片づけぐらい自分で何とかなりますから」
「なら、良いお年を。また来年ね、みさきちゃん」
「深町さんも良いお年を」
 暮れの挨拶をしてふと、気がついた。
 もう、今年は終わりなんだ。
 色々なことがあった、浩平君のいた今年はもう、終わり。二度と来ない。永遠に、さよなら。
 時間は動いていて、すべては懐かしい存在へと変わっていき、いつしかあやふやになっていくということが、あたりまえで、だけど残酷で。
 開いたページの点字を追う右手に、ひとつだけ雫が落ちた気がした。



        つづく



<筆註>
 文中に引用した文章は新潮現代文学第41巻収録の遠藤周作「沈黙」を底本とさせていただき、また点字図書や対面朗読に関しては図書館問題研究会発行の「すすめ!対面朗読」(1995年)を参考にさせていただきました。
 なお「視覚障害者=点字が読める」というイメージがあるようですが、日本の場合、点字識字率は全視覚障害者の1割強〜2割ぐらいなのだそうです。最近はカセットやCDによる音訳の普及(特に「拾い読み」の出来る後者の影響が大きい)で活字離れと同じ様な「点字離れ」も起きているのだとか。







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