わが魂は待ち望む
われはその御言によりて望みを抱く


ONEからさめない


text by くわね(kuwane@fc4.so-net.ne.jp

#23 華氏451度 II

 蒸しあつい、ガラスの中の外国。
 わたしはひとりでいた。
 そこに、シュンが来た。
 不思議だった。
 シュンはわたしの名前を呼んで、抱きしめてくれた。
 うれしかったけど、悲しかった。
 悲しい理由は、ノート。
 髪をふたつにわけた、名前は、一度聞いたけどもう忘れてしまった人が、落としてしまった。
 ノート。
 浩平のノート。
 あれがなくなってしまったら、浩平ののこした何もかもが、どこかにいってしまうのに。
 あと少しで、拾えたのに。
 でも、あと少しは、とても遠くなってしまった。
 それは、火の向こう側。
「しゅん」
 シュンが抱きしめてくれているのを感じながら、つぶやいた。
「ノートが、燃えちゃう」
 わたしは、涙を流していた。

<だいじょうぶだよ>
 誰かの声がした。
 ノートをわたしにくれた、誰かの声。
 優しい声。
<記憶は続いていくの、どこまでも、どこまでも>
 きおく?
<そう、記憶>
 ノートがなくても、大丈夫なの?
<大丈夫だよ。記憶は、続いていくものなんだから>
 でも、ノートは。
<聞こえない?>
 え?
<耳を澄まして。空の音に。そうしたら、分かるから>
 そらの、おと………?
 それって、
<うん。たぶん>

「繭?」
 シュンが、わたしの顔を上からのぞき込んでいた。
 心配そうな顔だった。
 もう一度、シュンはわたしの名前を呼ぶ。
 わたしは、それに答えるために少し頑張って笑顔を作った。
「だい…」
「だいじょうぶ」
 わたしがシュンの言葉を先回りすると、シュンは驚いた顔になった。
 もう一度頑張って、笑顔を作る。
 さっきよりいい笑顔になったと、自分でも思えた。
「だいじょうぶ」
 そして、繰り返す。
「よかった」
 シュンが、ほっと呟いた。
 炎の向こうに、木の枝に引っかかったノートが見えた。
 きれいな水色の表紙も、なにも、オレンジ色に見えた。
 その水色の表紙が燃えてしまうのが残念で、私は口を開いた。
「ノート」
「………燃えるね」
「みゅー」
 ノートに火が移るのが見えた。あっという間に、火に包まれる。
 気がつくとシュンは、わたしをまだ両腕の中に抱いていてくれた。
 ノートが燃える瞬間、その力が、すこし、強くなった気がした。
「繭」
 もう、だいじょうぶ。だから。
 わたしは、涙をこらえて頷いた。
 そして、最後に残っているだけの元気で、笑顔を作る。
 さようならと、ありがとうと。
 こんにちわと、またねと。
 知っているだけの気持ちをこめて。



        つづく







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