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18禁ゲームの消費とオタク文化の関係について

C.F (c.f@ijk.com)


カルチュラルスタディーズ(CS)の概念枠組みについて

・社会的な意味付け

 あらゆる事物は社会によって意味付けされている。事物はそれ自身で意味を持つ事はない。つまり、ウォークマンなりCGに描かれた少女なりは、それ自身で意味を持っているわけではない。そうではなくて、社会の中で人々の実践に登場する事によって意味が与えられるのである。例えば、『実践 カルチュラル・スタディーズ』(*1)(以下、本書)で取り上げられているように、ウォークマンは若者社会での実践の中に登場する事で、「クールな人間の持ち物」「電車の中の騒音の元凶」といった社会的な意味付与がなされる。
 本書で指摘されているように、メーカー(ソニー)は商品(ウォークマン)を売るにあたって、商品が登場するような実践を売り込むのである。ソニーは「クールな人間」という生活形式(ライフスタイル)を宣伝する事で、その生活形式の実践に登場するウォークマンを売り込む。
 こうして事物は製作者(メーカーや著作者)によって既に社会的に意味付けられたものとして受け手に提示される。しかし、一旦受け手の手に渡ってしまえば、その後の意味付けの主体は受け手の側にある。受け手が自らの生活実践の内で商品をどのように位置付けていくかが、社会的に付与される商品の意味となるのである。
 そして、こうして付与された社会的な意味はある国家なり地域なり全体に行き渡るものではない。生活形式が異なる、つまり背景文化が異なる集団間では事物の位置付け方は異なり、事物に付与される社会的な意味も異なってくる。例えば、ウォークマンは若者文化の中では「クールな人間の持ち物」である一方で、中高年層の(保守的)文化の中では「騒音の元」「不良の持ち物」ともなりうるのである。

・コード化

 「意味付け」に関するこのような理解は、情報科学で考えられてきた「シャノン-ウィーバー」的図式(*2)とは異なった物となってくる。シャノン-ウィーバー的図式では、送られるメッセージは受け手によって正しい意味が理解される(デコードされる)ことが前提となる。送り手の意図したように理解されなかったメッセージは伝えられる過程でノイズが入ったか、受け手のデコードに間違いがあったかとされるのである。
 しかし、前段のような「意味付け」作用を考える時、通信(Communication)において「正しい意味」は存在しない。ホール(*3)によれば、送り手が発する事ができるのはせいぜい「優先的意味」であり、受け手に理解の素材と大枠を与えはするものの、受け手がどのように理解すべきかを決定する事は出来ないとされる。本書のウォークマンの例でいえば、ソニーは「家の中を歩きまわりながら、あるいはドライブやストリートを散歩している最中に、既に音楽を聞いていた層を狙っていた」(訳 pp.084)のであり、その様な層の人々のライフスタイルに登場すべきものとしてウォークマンを企画/宣伝/発売した。だが、実際に発売されるとウォークマンはソニーの当初の想定よりも広い層に受け入れられ、外国語学習や古典テキストを聞くためにも用いられるようになった。
 ソニーがウォークマンに与えた「若者が移動しながら音楽を聞く」という優先的意味は、受け手がソニーの提案する新しいライフスタイルを、自らのものとして実践し(我有化)、その実践にウォークマンが登場するという形で受け入れられた。それだけでなく、別の受け手は自身の既存のライフスタイルにあわせた「外国語学習のための」や「古典テキスト聴取のための」といった「交渉的意味」をウォークマンに与えもした。あるいは又、ある人々にとっては彼らのライフスタイルにウォークマンが登場するのは「騒音の発生源」や「若者が内部に閉じこもる手段」であり、ソニーの宣伝等に対して「対抗的意味」で解釈することもありえる。

・メディアの関連

 本書では、このようにウォークマンが送り手と受け手の意味の相互作用においてメディアとして作用している事を指摘する。文化とコミュニケーションに関するウォークマンをはじめとするテクノロジーは「意味の文化的な生産消費のための新しい手段(すなわちメディア)」(訳 pp.39)なのである。
 ここで、メディアが単なる(シャノン-ウィーバー的な)意味媒介物ではなく、意味を生産消費する為の手段として捉えられている事は重要である。前段落での引用で「新たな手段」と語られているのは、新たならざる新聞/雑誌/テレビ等のマスメディアも同様に単なる意味媒介物ではない、意味の生産消費のための手段である事が含意されている。
 ウォークマンでのソニーの宣伝と同様に、マスメディアは優先的意味を持たせた言説を展開する。それに対して、受け手である人々は自身のおかれたコンテクストから、優先的意味に同意させようとする送り手側と対峙する事になる。



PCゲームの消費とオタク文化の関係について

 以下、いわゆるオタク層の消費文化について、本書の分析手法を応用しながら検討してみたい。なお、オタクと呼ばれる社会集団は極めて広範な広がりを持っており全体を論ずるのは不可能であり、また論として大きな価値はないと考えられる。よって、ここではPCゲーム(*4)の消費という側面から、2つの現象を捉える事とする。
 さて、本書1章7節で論じられている通り、現代になって現れた新たな文化生産の技術として電子的複製技術の存在がある。それは、全く同じ芸術作品を大量に作り、消費者へ送り込む事ができるというだけでなく、既存の絵画や音楽を「コラージュ」し「サンプリング」する事で新たな作品を作り出す事が出来る技術である。このような複製技術に関連するものとして、PCゲームでは布教と二次創作の2つが上げられる。

・布教

 まず第一に布教であるが、これはオタク文化の広い範囲に見られる現象で「気に入った作品を同じオタク仲間に勧める」という現象である。「人としてやれ」「やらないと村八分」などといったメッセージと共に仲間に勧める事は頻繁に見られる。そのゲームをプレイしなければ「人ではない」「村八分」とする発言はもちろん修辞ではある。だが、一方で布教という行為を通して、彼ら(*5)は集団としての自己同一性を保っていて、その現れとも言える。
 このような布教活動は他のオタク文化のメディア、例えばアニメやコミックにも存在する。だが、ここで重要になってくるのは、PCゲームの複製のしやすさという点である。現在、殆どのPCゲームはCD-ROMを媒体として(*6)供給されている。そのため、CD-Rを用いる事で安価に(*7)簡単に(*8)完全な複製を作る事が可能である。コピーそのものの違法性はあるものの、PCゲームが消費へと流通する過程において、既にそのゲームを消費した人間が関与する事は注目に値すると言えよう。つまりここでは、製作者の側のものとされる行為に、消費者が関与しているのである。布教活動において、消費者は新たな製作者として、メディアとしてのゲームに優先的意味を与えながら、次の消費者へと送るのである。(*9)

・二次創作

 第二に挙げられるのは、二次創作である。二次創作とは他人の著作物(一次創作物)を元にした創作物の事である。PCゲームを中心とするオタク文化では特にファン活動の一貫としての、ゲームの世界観/キャラクター/音楽等の素材を使って行なわれる創作を指し、CG・SS(*10)・ムービー等の形態をとる。特に多数の二次作品(*11)が作られている場合は有名な二次作品を元にして新たな創作が行なわれる事も多い。
 このような二次作品は著作権上の各種権利と抵触しかねない存在であるのは確かである。特に1998年から1999年にかけての「ポケモン同人誌事件」(*12)では、任天堂の「ポケットモンスター」を題材にした二次創作(同人誌)が同社の複製権を侵害しているとして、関係者の告訴(1999/1/5)、作者逮捕(1999/1/13)に至った。この問題については詳細に論じないが、アニメ・コミックを含めた場合、一次作品の製作者の側は二次創作活動が作品の流通に寄与している事を承知しているため、多くは黙認と言うべき態度をとっている。PCゲーム(特に18禁の)に関しては、業界大手であるLeaf/Aquaplusの引用・二次創作基準(*13)が極めて寛容な基準を公表しており、これが一種のデファクトスタンダードとして機能(*14)している。
 このような二次創作活動は前段と同様に、既にそのゲームを消費した者が新たな意味付与を行なって創作をし、それが更に流通していく過程である。二次創作活動経験者が商業作品(一次創作)に関与する事はオタク文化一般に見られる事であり、やはり生産者-消費者の対峙的構図はないと言えよう。



結部

 上記のような消費文化を可能にしたのは、新技術であるコンピューターでありコンピューターネットワークである。こうして、ウォークマンの分析と同様、このような新技術やPCゲームの存在は単なる意味媒介物ではなく、意味が生産消費されるための手段として機能している。将来的には、生産者と消費者の溝は更に埋まっていくと考えられ、その際にどのような生産-消費分化が現れてくるかを、示唆してもいる。



注釈

*1
ポ−ル・ドゥ・ゲイ 他『実践 カルチュラル・スタディーズ -ソニー・ウォークマンの戦略-』(暮沢剛巳訳, 大修館書店, 2000)
*2
クロード・シャノン, ウォーレン・ウィーバー『通信の数学的理論』(1948)
*3
スチュアート・ホール『テレビの言説におけるコード化と脱コード化』(1973)
*4
この場合、PC用ゲームとはWindows環境で動くゲームの事で、特にこの中でも18禁ゲームを念頭において論を進めている。なお、18禁ゲームとは「コンピュータソフトウェア倫理機構」によって同機構の倫理規定によって18禁作品として受理された作品群の内、Windowsで動作し、かつジャンル名に「ゲーム」が含まれるものと定義する事が、とりあえずは可能である。
コンピュータソフトウェア倫理機構 http://www.sofurin.org/
同倫理規定 http://www.sofurin.org/eocs/kitei.html
*5
もちろん、ここでの「彼ら」とは筆者である私にとっては同時に「我々」である。
*6
ごく少数例だがDVD-ROMで供給されているものもある。
*7
デスクトップ機用のCD-Rドライブは現在数万円で入手でき、また市販のPCでも現在では高級機を中心にCD-Rドライブを標準装備するものが増えてきている。また、CD-Rメディアは1枚100円以下で入手でき、一旦CD-Rドライブを導入してしまえば、コピーにかかるコストは非常に小さいと言える。
*8
コピーガードがかかっているものもあるが、読み出されるべきCD-ROMドライブがコンシューマ機のように特定できない汎用品であるPCの特性もあって、複製が不可能なCD-ROMは存在しない。一方、コンシューマ機であるPlay StationもCD-ROM供給なのでCD-Rによるコピーは可能である。しかし、Play Stationはハードウェアレベルでのコピーガードが備わっているので、コピーガードを解除するにはハードウェア的な改造が必要であり、結果PCゲームほどの頻度はない。
*9
これと類似した事象に、Napstarを始めとする音楽ソフトのインターネットを経由した消費者間の流通があげられる。特に、一部のアーティストには既存の音楽会社への反発等から、Napsterを音楽流通を変える物として擁護する論が存在する。
ZDNET 2000年8月10日 10:26「プリンス,Napsterを擁護」
http://www.zdnet.co.jp/news/0008/10/b_0809_18.html
http://www.zdnet.com/zdnn/stories/news/0,4586,2613714,00.html (記事原文)
*10
物語スタイルの二次創作。Side Story・Short Storyの略とされる。現在、最も二次創作活動が盛んな18禁ゲームの多くが絵+文章+音楽の「ノベルゲーム」スタイルをとることもあり、特に多く用いられる形態である。
*11
あるゲームのSSリンク集には1/30現在10543本のSSが登録されている。
いたちん『かのんSS-Links』
http://homepage1.nifty.com/itachin/kanonlink/
*12
参考 三崎尚人『同人誌生活文化総合研究所』
「ポケモン同人誌著作権問題関連」
http://www.st.rim.or.jp/~nmisaki/topics/pokemon.html
*13
Leaf/Aquaplus『Leaf official HP』
「素材引用・二次創作について」
http://leaf.aquaplus.co.jp/copyrgt.html
*14
Leaf以外の各社の基準は厳密にはLeafほどの寛容さはないものの、実際に二次創作が行なわれる場合にこの差異に注意が払われる事はないと言って良い。
Key/Visualarts『Key Official HomePage』
「Key素材引用・二次創作物について」
http://key.visualarts.gr.jp/sozai/sozai.html
ALICE SOFT『ALICE SOFT HOME PAGE』
「Infomation」
http://www.alicesoft.co.jp/annai.html







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