『遠まわりする雛』が好きなあなたに『折れた竜骨』を薦める

『遠まわりする雛』および<古典部>シリーズのネタバレを含みます

  • 『遠回りする雛』

『遠回りする雛』は<古典部>シリーズの四冊目、主に『小説 野性時代』を初出とする短編を集めた、今のところシリーズ内唯一の短編集である。冒頭の『やるべきことなら手短に』は奉太郎が千反田に出会ってすぐの『氷菓』と同じ時期の話で、そこから彼らの一年間を追う形で七本の短編が収められている。なお、<古典部>アニメ版である『氷菓』では短編集未収録の『連峰は晴れているか』もふくめ、全て時系列通りに並べ直してシリーズを構成しているので、各短編がどの位置に入るかはアニメ版を参考にすると良い。

さて、今回話題に上げたいのは『遠まわりする雛』収録短編の最後、これのみ書き下ろし作品であるタイトル作『遠まわりする雛』の事である。今後『遠まわりする雛』とのみ書いた場合は基本的にこの短編の方を指す。

『遠まわりする雛』は「日常の謎」である。いや、もちろん<古典部>シリーズはミステリジャンルとしての「日常の謎」であることには間違いない。だが、ここでは相沢沙呼があるツイートで表明した「日常の謎」の定義をひきたい。

『遠まわりする雛』の謎はとても些細なものだ。ある祭礼にあわせて工事を延期したはずの橋が、なぜか当日になって工事を行っており渡れなくなっている。工事業者に誰かが電話をし、さらに予定を変えさせたのだ、とまではすぐに解る。誰がなんのためにそんなことをしたのか(フーダニット・ホワイダニット)。千反田が消去法から犯人に辿りつき、奉太郎は動機から犯人に辿りつく。謎解きとしてはとてもシンプルだ。
一方、『遠まわりする雛』で描かれる奉太郎と千反田の関係はとても重要である。「見てください、折木さん。ここがわたしの場所です」と千反田が語り、一方奉太郎は「俺が修めるというのはどうだろう?」と返そうとして、言えないままでいる。成り立たなかったこの会話を描くためにこそ『遠まわりする雛』はある。

少し脇にそれる。
この『遠まわりする雛』のクライマックスで千反田が「わたしの場所」を紹介しようするのと、その直前で自らの進路に対する決意を示すのとは不可分である。この千反田の決意と「わたしの場所」への言及は、<古典部>シリーズの別解とも言うべき『さよなら妖精』でマーヤが故郷ユーゴスラビアに帰ったことと全く同じである。であるならば、この千反田の決意を『さよなら妖精』から始まるシリーズ名に使われている言葉を取って「召命(beruf, ベルーフ)」と呼ぶこともできるだろう。

短編集としての『遠まわりする雛』に立ち返ってみよう。
奉太郎が千反田に出会ってすぐの話『やるべきことなら手短に』では、奉太郎は自身の省エネ主義のために千反田を騙す。だが、それはすぐに里志に指摘されるように奉太郎と千反田の関係を保留するためのものであった。
『遠まわりする雛』の一つ前の話『手作りチョコレート事件』では、今度は里志が摩耶花に対して「保留」を行うために、再び千反田は騙される。
そして『遠まわりする雛』での奉太郎の「保留」は『やるべきことなら手短に』とはもちろん異なっているし、『手作りチョコレート事件』の里志の「保留」とも異なる。そうした微妙な機微に『遠まわりする雛』でたどり着けるのは、過去三作のような大きな事件ではなく、短編集として小さな事件の積み重ねで描かれた日常があってこそである。
先ほどの、相沢沙呼の指摘に拠るならば、主人公四人の日常を描き重ねたところからリアリティが生まれ、『遠まわりする雛』の結末を支えていくのである。

  • 『折れた竜骨』

さて、『折れた竜骨』である。
『折れた竜骨』は優れた本格ミステリであり、サブジャンルとしても「日常の謎」には当たらない。だが、もしあなたが『遠まわりする雛』を、特に前述した場面を気に入っているのであれば、『折れた竜骨』を読むべきである。
本稿ではあえてこれ以上『折れた竜骨』については触れない。文庫版が出て、より多くの米澤読者に届くようになったばかりでもある。本格ミステリとしての『折れた竜骨』の評価については、文庫版帯を見てもらえばすぐに解るし、単行本での評も多くある。
ただ一つ述べておくとすれば、魔術や呪いが存在する中世北海で繰り広げられる物語ではあるが、終章に辿りついたとき、そこで描かれるのは<古典部>や<ベルーフ>と全く同じである、という事だ。
是非、あなたには『折れた竜骨』を読んでほしい。

米澤穂信『遠まわりする雛』(2007, 角川書店・2010, 角川文庫)
米澤穂信『さよなら妖精』(2004, 東京創元社・2006, 創元推理文庫)
米澤穂信『折れた竜骨』(2010, 東京創元社・2013, 創元推理文庫)