日記帳 〜00年07月〜
7月31日(月)
珍しくPC話
雷鳥問題の最終解決を図るために、L2キャッシュの分離とサーバー機での運用を実施。
効率面では河童をNTに回して、雷鳥を9xに持ってくる方が多少はましなのだけど、
運用時の安定性やクライアント機である9xでの自由度のためには致し方なし。
少なくともS@Hをやる限りでは、440BX+Coppermine+PC-133(CL2)を
FSB133を目安に運用するのが良いらしい。
本当なら、VCM-SDRAMはその特性上、DDR-SDRAMよりさえもS@Hを運用するのに向いているのだが
VIAのメモリ周りの実装能力では、無意味どころか有害ですらあるという罠も。
とりあえず、KX133でSlotA版雷鳥を運用しようとしてる人は要注意。
このあたりに何らの改善もないようならMustangも期待薄。
Intelがここ1年半以上まともなチップセットを作っていないにもかかわらず、
この有様ではAMDもVIAもまともな製品を作る意欲も能力もないと言わざるを得ないなぁ
VIAはCyrix3をSamuel1で出してみたりしたけど、値段的に河童せれと同程度で勝負になるのかどうか……
以上。
ユーザーはソフト(OS含む)を選べても、ハードは選べないというお話でした。
7月27日(木)
遅くなったけど。
しのぶさんとこ(魔法の笛と銀のすず)でDMH17さんが公開されている
真琴ムービー『いのち、かけら』は最高にお勧め。ファンコールです。
真琴と言えば、谷山浩子の「秋ぎつね」と「キャロットスープの歌」を混ぜた「真琴おでん種」構想があるんだけど……
「お鍋に入れて〜煮込めば煮込めば〜」
才能や技能ある人、いかがですか?(笑)
7月25日(火)
試験。
2日間の内に現代/近代/古代の3つの概論のテスト。
なんか、殆ど同じ話題を導入となる思想史的部分を差し替えて書いたような……
話題としては、「私は何であるか」と「私は何になるか」というのが哲学の2大潮流だというお話。
前者はソクラテス、デカルト、ウィトゲンシュタイン。
後者はプラトン、カント、サルトル。
森博嗣は殆ど読み尽くしたけど、どんどん切れが薄れていくような気がする。
やはり、初作が1番切れてたように思う。
OS内部のカウンタなんて、ねぇ。
7月24日(月)
昨日の日付表示が間違ってました。申し訳ない。
うわさの(雪駄さん/くわね氏)「最終兵器彼女 (1)」を入手。
覚悟して読んでみたけど、意外に来ない<何が?(笑)
そう、たとえばKanonの栞シナリオやONEの茜シナリオ。
美しい事は理解できるけど、妙に共感が無い。
融合少女なら、兵器系よりも、サイバー系(=玲音)だよねぇ
ではなくて
半年前だったら、徹底的に攻撃を受けていたのだろうけど。
むしろ今はフルバのとりさん&ぐれさんに共感する感じ。
あ、あとフォークソングと空からこぼれた物語。
7月23日(日)
夏コミ評論本は作業終了らしい
「残余〜世界と自分とその隙間〜」A5-16P-200円で
夏コミ3日目L-17a豆満江開発機構で頒布予定。
試験&レポートシーズンからか、PCと戦ってみたり
結論は、うぐぅ。
takatakaさん(JunkTextProductsDiv)がMeaning of Heartの続編をアップされていた。
この議論に関して、これだけまとまった文章は他に知らないので、要チェック。
7月20日(木)
ガウ、Lv.99。ティナ、Lv.98。
雪駄さんにも原稿を頂いたOne/Kanon中心評論本のタイトルは
「残余」に決定。サブタイトルとして「<えいえん>への考察」が付くかも。
ネタ元はシジェクの「仮想化しきれない残余」。
電話帳を、年に2回、この時にしか使わない店=アニメイト仙台店で購入。
しっかりMRを読んで、レポートに手がつかない……
ついでに、なぜか入手していなかった「フルーツバスケット [5]」(高屋奈月)も入手。
P.55/56あたりで、攻撃を受けてみたり、
27/28話で考え事して、気付いたら、泣いててみたり、とか。
とりあえず、人は何かが欲しいらしいです。
書き損ねたレポート課題(正確にはテスト草稿)も、
「近代(哲学)における懐疑(主義)の意義」だったりするので、
全く無駄に時間を過ごしたわけではないのですけど……
7月19日(水)
IE5.5はHTMLの解釈エンジンが5.0よりも重くなった様子。
バグを無視しての上で、機能と軽さのバランスは4.0や5.0よりも劣ると言う印象。
森博嗣「有限と微小のパン」(講談社NOVELS)、読書中。
モノリスは確か1:4:9だったと思うのだが、自然数の数列は理性的存在者に
対してアプリオリなものなのだろうか?
特異点と外部。
自然数の集合を、実数の集合から与える場合、自己言及的な定義を断念すると、
自然数の集合の中での特異点である1と、集合の外部である0によって、与えられる。
同様に、複素平面上から、実数を与える場合には、
同じく特異点である原点0と、外部である純虚数の集合によって、与えられる。
問題はこれらの内に、恣意性が入り込む余地があるかということ。
7月18日(火)
某方面(笑)からの圧力でIE5.5の人柱になるべくダウンロード中。
ガウはEXPが2.1Mを突破。大体2.6MでLV.99なので、後50体ほどガンマを倒せばいいらしい。
この辺とかの、コミュニケーションとアイデンティティの問題に関して、
J.R.サールの「言語行為論」中に出てくる「構成的規則」が面白そうな感じ。
「構成的規則は、単に統制するだけではなく、新たな行動形態を創造(create)したり定義したりする」
(J.R.サール, 言語行為, 第2章第5節)
川本先生のゼミの夏休みレポート課題として、清水幾太郎「倫理学ノート」講談社学術文庫、を入手。
とりあえず、ウィトゲンシュタインを扱っている3節分だけでも先に読んでみようかと思う。
7月17日(月)
セッツァーもLv.99達成。
次はガウかなぁ。こいつの場合、Lv上げが終わっても、獣ヶ原巡りが待ってるのだけどね。
ここでは珍しく音楽な話題。
私は帰省するたびに(春、夏、年末年始)、そのころ聴いていた曲を
MDやMP3プレイヤーに入れて徹底的に聞くので、大体そのシーズンのテーマになってしまう。
例えば去年の夏は徹底的にKanonだったし、
今年の春はZTSさん(Z.T.SELF REGARDS)のアレンジアルバム「Conceit Orbit」
ちなみに五月以降はずっと桜さん。
んで、今年も夏のテーマを決めなくちゃならない。
条件は2つ。
明るい応援系と、良い意味で沈める静かな曲(自爆曲含む)が適度に混ざってること。
MDなら74分、MP3なら64MB(以前は32MB)に入ること。
特に沈める静かな曲は、夜の宇都宮線上り快速で聞くための曲なので、極めて重要。
この車内で考えた事は、今まで色々な結果を残してるので。
とりあえず確定なのは、以下の曲。
丹下桜 - MAKE YOU SMILE, CATCH UP DREAM, I Feel The Wind
谷山浩子 - 秋ぎつね, まっくら森の歌
中島みゆき - 地上の星
後32MBはあるだろうから、それは以前に使った曲を使うといいかもしれない。
一昨年の9月のテーマ、TWO-MIXのアルバム「FANTASTIX」からMISSING YOUやBURNINGとか
冬の定番曲なB'zのアルバム「Friends」からとか
そいや、電話帳が出たようですね。
海の日あたりに買いに行きますか。
ちなみに私は分冊しない派です。
7月16日(日)
月が消失していきます。
そういえば、火星(2つ)とか木星(大きいのだけでも4つ)とか
衛星を複数持つ惑星での衛星食って、もっと複雑なのが可能なのだろか?
とか言ってるうちに、皆既月食は完成した模様。
目的論と自然主義。
先週1週間、都立大の丹治先生を迎えた集中講義があって、
「自然主義の可能性」を題目に、ニューラルネットと利己的遺伝子の話を聞いた。
つまり、脳機能あるいは遺伝子システムという方向性で
身体/動物的側面での人間がどのように考えられているかの講義。
私とかの立場の人々からすれば、そういった説明から何とか自分たちの領域を守ろうとするのだけど
なんでもかんでも「〜のため」と語りつづけることに固執する事もまた逆の方向性を追求しているに過ぎない。
殆どの場合、端的に話していて行動しているに過ぎないのであって
語っていて行為している事はむしろ全体からみれば例外事象ではないか。
全てを手段-目的の内で解釈する事は、全てを原因-結果の内に解釈する事と同様に無意味である。
自分の人生が、この一点に収斂していくような、そういった局面を僕は知っているけれども
私の全ての時間がそうした一点に関わっているわけではない。
そういった一点を願って、圧倒的に多い無意味な時間を、そのための時間と解する事は
不可能だとは、私は思わないが、倫理的な意味では(多少paternalisticだが)、お勧めしない。
むしろ、そうした一点はどんな瞬間にも見出しえるのではないか、と。
たとえ、その時そこに誰も他にいなくても、私の前には世界があるし、
私の前に世界がある以上、そこには何らかのものが含意されている事は、明らかであろう、と。
以下、色々メモ
色々と散財。
Athlon(Thunderbird Core)700MHz(SlotA)、EP-7KXA、CuPlay
EP-7KXAはBIOSアップデートのためにK7/75なAthlonが必要だった。うぐぅ
CuPlayは一年前のに比べて相当進化してる。
蓄積した経験を生かしているようで、好印象。
サークルの飲み会で先輩と話したこと、色々。
墓の定義について。
墓と仏壇はどう違うのか(墓の前で行われる行動)。死者は墓にはいない(極楽とか地獄とかに行ってしまうから)。
墓は遺体の一部が入ってなくても墓(戦死者の例)。墓は墓場にある(墓場は墓がある、とトートロジー)。
でじこはなぜ萌えるか。
萌える要素(=記号)が、通常であれば何らかの理由付けをなされて提示されるのに対して、その記号が端的に目的として提示されるから。
でじこが持つ主要な記号は、メイド、猫耳、9歳。
「最高なのは好きな人が嫌いな奴にヤられてるとき」と言った某先輩の発言について。
ノーコメント。
7月12日(水)
原稿やらねば〜、と思うたびにセリス(FFVI)のLvが上がる今日この頃。
別にIXが出たからVIをやり直してるわけでもないのですが……
(SNESのまでしかFFはやらないので)
とりあえず、セリスはLv.99になったので、
……次はティナです(笑)
しかし、Snes9xは進化してるなぁ。
雪駄さんの雑記を読んで……
思い浮かんだのは、ニーチェの思想、というか生き様です。
私は、ニーチェという人の考えには全面的には賛同できないのだけど(参照)
それでも、彼の壮絶な人生を念頭に置いた上で、彼の思想を読むと、
尊敬というか何というかは、否定できないです。
彼は、例えばキルケゴールみたいに好んで苦しみを求め(ているように見え)たりはしないし、
ハイデガーなどと比べれば極めて対極的だ。
学会から認められず、身体を(そしてついには精神をも)病んで温泉巡りをしているような、弱さ。
そういう人が、こういう事を書いたという事への、純粋な驚き、というか、希望。
こんな事を、硬くて堅い文章で表現できれば良いのだけど……
7月7日(金)
そうですね……。
確かに、夢をただ見続けるだけじゃ、だめですね。
いや、見続けるだけでも結構な気合のいる夢もあるのですが(苦笑)
その気合も、夢をかなえようとする際の努力と、不可分でしょうし。
その点には合意します。
日常を愛する、という事も、常に日常の愛しさを発見しよう、という事で
日常の中に単に埋もれていて構わない、とまでは思わないですし。
もっとも、Heideggerの言う頽落には、頽落で何が悪い、と思いますが。
過去と現在の日常を未来に投企して、未来の日常を過去と現在の日常の延長上に形成して、
そうして、日常の延長上の夢を、日常を日常として愛して歩いていく事で、実現できる
僕が把持したいのは、こういうことなので、夢とも日常とも言いづらいかも知れないです。
あるいは、そんな事は実現しそうもない「夢物語」であるのかも知れないのではありますが
追記>しのぶさん(魔法の笛と銀のすず)
ウィトゲンシュタイン、パウル(ピアニスト)が四男、ルートウィヒ(哲学者)が五男です。
ご存知かもしれないけど、一応。
7月5日(水)
やっぱり、とことん書く事を期待されてるのですね。
と、いうか、書き出してみたら止まらないのですが。
どうしましょう(苦笑)
夢と日常の件。
夢と日常に関してのイメージのずれ、が多少あったみたいです。
つまり、僕らが10台の大半を過ごしたあの場所ってのは、夢を押し付けてくる所なのですよ、基本的に。
日常を一定程度犠牲にして到達する所の「夢の場所」ですし、
世間での「夢物語」が現実に手の届くものとして語られる場でもあります。
つまり、非日常を与えられ強制される場です。
そういう場所で、僕らがまず最初にやらねばならないのは日常性を勝ちとる事で、
まぁ、大抵は1年も経たないうちに夢は覚めるのですけど。
たまに、ここで失敗する人もいるみたいです。
そうして何年かたつと、つかみとった日常の中から再び夢が語られ始めます。
このとき、僕らは今度こそ自分の力で夢をつかもうとしますが……
与えられた夢を甘受するだけの事が、無いとは言えないです。
そんな中で、僕や彼や彼がとった道のりは
夢を日常の延長に見ること
だと思うのだけど、どうだろう。
7月4日(火)
「東京星に、いこう」や「Baby,Baby」を、まどろみながら、聞く。
多分、聞くのは5年ぶりぐらいなのだが、印象がぜんぜん違う。
語られている内容に関しての態度の差、というのもあるのだろうけど、
それ以上に、言葉を声で聞く、という事から離れてしまったのかも。
言葉をそのまま聞く、というのではなくて
どこかで、それを文字に落としている印象が、特に意識が比較的鮮明なときには、あります。
最近は、これ以外にも中学高校時代の演出物を再び保護してるのだけど、
どれもこれも、妙に疎外感を感じるなぁ。
7月3日(月)
夏コミあわせの評論本原稿(3日目, L-17a, 豆満江開発機構)を書いてたりする、ここ数日。
雪駄さんに原稿いただくので、ちゃんと仕上げにゃならんし。
とりあえず、基礎論文として日記に書いていたのは、殆ど破棄して書き直し。
他に、恋愛の儀式性、家族についての考察、「えいえん」論文を収録予定。
ともあれ、一度自分の文章を見直して整理してみる、というのは良いことです。
基礎論文に関しては、このまま行くとこれを元に来年卒論を書きそうな感じになっていたり(苦笑)
書いた文章に関しては、夏コミが初出、ということで一応当日までは載せませんが、
雪駄さんの25日付雑記・私信風味への反応として、「えいえん」論文から少しだけ。
過去現在未来において、確実な何かを「えいえん」と呼ぼう。
それは、あの思い出やこの愛やその希望である。
そして、「えいえん」を僕らは確かに知っているし、その上に僕らはあるのだ。