日記帳 〜2000年10月〜
10月31日(火)
アドバンスド大戦略98IIの自由主義陣営IFシナリオプレイ中。
なんというか、歴史シナリオ最後の「ルールポケット」の頃から、ドイツ軍はむちゃくちゃ。
マウス、ヤークトティーガー、エレファント、etcが何十両も……
上空はジェット戦闘機(Me-232)と大陸間弾道弾(V2)が飛び交ってるし。
永井師の集中講義レポートは下に引用したような感じで、いつも通りだった。
が、引用した辺りの結論部分は良かったのだが、前提部分から結論に推論してく部分を書き上げて、
後30分で書き終わりな状態になった所で、その推論の部分で間違いをしたような気がしてくる……
が、気付かなかった事にして、提出。
集中講義と言う性格上、途中のテクニカルな精密性よりも発想や着眼点の面白さが求められてるわけだし。
……
以上の三つの記憶と意思・約束との差異から、次のような事が言える。意志や約束は過去のある一点にのみ限定されるものでは無く、常に現在そして未来との関連性を持っている。そして、それらの内容は端的に真であり、外界や他者による検証にも耐えられる。意志や約束は過去と現在を関連付けていくものであり、記憶がただ単にある時点での記述に止まるのに対し、未来構成的なものと呼べるだろう。「未来のある時点で≪私≫であるのがどうであるか」という事は多くの可能世界としてあるが、それら諸可能世界の内から一つが現実世界として選択されるにあたって、未来構成的な意志や約束が機能する。
パーソナルアイデンティティを与えるのは、記憶の統一性でも身体的統一性でもなく、未来構成的な意志や約束である。記憶の統一性で与えられるのはせいぜい「正当な過去から連なる現在の私」である。だが、未来構成的な意志や約束で与えられるパーソナルアイデンティティは、未来の正当性をも与える事が出来る。……
10月29日(日)
こんなのを書き始めました。
少しずつ書き足していくつもり。
んで、オタクと萌えの話。
くわね氏の指摘の通り、かな。
オタクは昔から連帯してた、と。
それは良いとして、その連帯がちゃんと萌えの対象に向かってのものだったかどうか、なのかなぁ
まぁ、80年代オタクがその辺どのようであったのかについては、当事者に聞くしか方法がないのだが。
90年代オタクの例としては、2つのジャンルに属性がある知人が即売会で一緒に
行動する仲間がかわったのにあわせて、参加ジャンルがかわった。
ってのはあって、これは、萌えの対象<同志、ってことと言えるだろうか……。
#あんまり、萌えっていうジャンルでもないのが最大の問題かも(女性系)
青空については……(以下略)
10月28日(土)
なにやら偉大なミスをかれこれ1週間も放置しておいたようで。
失礼いたしました。
午前中は自室での窓際でDate fmなぞを聞きながら、だらだらとすごす。
au(KDDI)、学割半額導入らしい。
午後、E-BeanS(喜久屋書店漫画館・ジュンク堂書店・パラダイスレコード)、中央通(新星堂・ダイエー)辺りをうろうろ。
「映像の世紀」サントラが新バージョンになってたり、大塚英志「冬の教室」が文庫化されてたり。
あとは、Maire Brennanがちょっと大きめに取り上げられてた。
実力も潜在的な知名度(ENYAの姉)もあるので、ブレイクするかも。
結局、危険地帯こと新星堂3階では自制して、meav(AnunaのVo)のデビューアルバムのみを入手。
残りはレンタルやら中古やらで
書籍類は阿智太郎「おちゃらか駅前劇場」(電撃文庫)と青空の画集。
前者は切羽詰ってないときに日当たりの良い暖かい場所で読みたい本、かな。
藤井青銅の一連の青春アドベンチャー作品に似てるかも。
後者は画集としての価値以上に編集が秀逸。
編集の志向は「visual experiments lain」に同じものがある。
特に優れたものとしては、表4の編集はもちろんだけど、P.1での実写の使い方も上手い。
てなわけで、ゲームをやるかとは別に、見ておくように > 担当者。
meav - meav
S.E.N.S. - Asian Blue
坂本龍一 - サントラ「戦場のメリークリスマス」
山下達郎 - Season's Greetings
おおたか静流 - 花
阿智太郎 - おちゃらか駅前劇場
果てしなく青い、この空の下で…。-公式ビジュアルブック-
10月26日(木)
別段とくに忙しくもなかったのだが、更新しそこなう。
フレッツISDNにしてからテレホタイムのダウンロード待ちに……って事がなくなったのが遠因だろうか。
早寝早起きが身につきつつある。
週末はいしがき君のPCを余ってた雷鳥セット(雷鳥700、VCM-SDRAM、K7V-T)を使って組み上げ、
星野金属工業のJAZZを使ったり、G400 SH 16MBをVGAにしてみたり、
以前からの液晶ディスプレイと合わせて結構な高級品。
月曜火曜にもフォローのため彼の家に。
んで、
雷鳥導入で不要になったいしがき君の旧PC(PC-98NX VC/4)を下取りして、
K6-2 400MHzに換装してみたり、なぜか河童550を買ってみたり。
河童550はファンをMajestyに交換しただけで733で動作。
他にも、サーバー機のNICをIntel PRO/100+(i82559)に交換したりとかで、色々と更新。
東浩紀の例のについて、くわね氏が書いてる。
同意。
でじこのような「わかりやすい」対象にも、美汐(例です、例)とかの「わかりにくい」対象も
同様に萌えの対象となりえるのは、あくまでもそれがオタク仲間との同一化や差異化が作用してるからで、
萌えというのは、対象への志向であると同時に、それ以上の他者への志向を含んでいる。
東の言う、「90年代オタク」と「80年代オタク」の差異を見出すとすれば、
90年代オタクは周辺に同志がいる、ということが挙げられるだろう。
人間の傾向性の一つである、他者志向というあり方を、端的に体現しているこの世代において、
オタクであるという事は内へ閉じこもりではなく、たとえ狭いコミュニティに対してであったとしても、
外部への/他者へのあり方としてある。
10月20日(金)
永井師の集中講義終了。
AIRについて、雪駄さんの考えを元にすると、ゲーム構造は可能世界意味論によって
また、ゲーム内における視点の問題は、中心化された世界と≪私≫性によって
分析/解釈できる、という事を学んだ授業であった(苦笑)
10月19日(木)
東浩紀がなんかやってる模様。
昨日のONEの件は、何が問題なのかが見えてきた。
WEBでは未だ未公開の文章なので、ここに書いてもしかたがないのであるが、
とりあえず、メモと差分ということで。
「これ」に関しては語用の問題で、一部の哲学で「これ」という語を確定記述に代替されないような
強い意味での個体性を指して「これ」とか「これ性」とか言うのとの、混乱を招きかねない問題。
その論は私が結構支持してるとこがあって、問題の論文中でもその意味で使ってしまってるのが
混ざってるだが、基本的には彼岸と此岸の対比として「あれ」と「これ」を使っているので、
そこを修正せねばならない。
も一つの方は、もうちょっと複雑で、哲学屋ぐらいにしか思いつかない問題なのだけど
浩平がえいえんの世界に行って帰ってきたときに、確かに彼女との思い出を持ってはいるものの、
その記憶が何らかの方法で捏造されたようなものだったとしたら、と言う仮定があって、
それでも、思い出とか記憶があるのは確かだから……というのはちょっと抵抗感がある。
んで、記憶というストック的な心理状態ではなくて、意思や約束の(意思とは自分に対する約束とも言える)
持続というフロー的な心理状態を基盤とすべきではないかという気がしてきた。
構成的規則ってのもあって、EVAやsense offの人物に共通する他者志向性とかもあるし。
記憶は他者と構成「した」ものであって、それは以前からの主張のように過去と現在の確かさを
保証するけども、未来に対してはあまり強い力を持ちえていなかった。
記憶に加えて、未来を構成するような意思や約束が持続していることが重要なのではないか。
ONEの場合、Kanonでの約束のように「彼と彼女」の間の約束ではないけれども、
やはり浩平の意思として未来構成的なものが持続することが作用してる気がする。
この辺のは、雪駄さんから頂いた論文なども参照して。
10月18日(水)
永井師の授業でONEの永遠論考(残余収録論文)に重大な見落としがある事を発見。
論の2つの柱である「これ」性と「思い出」が上手く両立できないのではないかってことなんだけど……
具体的には、浩平がえいえんに行き帰ってくるときに、浩平の「これ」性が喪失されるのではないかという疑問と
その上でも、つまり「これ」性が失われていても、浩平の記憶の継続があれば、
「僕たちの思い出」は維持されてしまうのではないかという疑問。
とりあえず、もう少し詳細に検討する必要があるけど、一定程度の修正は免れ得ない印象。
10月17日(火)
sense off
終了。
EDテーマの解釈(というより講釈か……苦笑)をやりたくなる今日この頃。
「この感覚が遮断されても、聞こえるよ」とか「地平線へと飛び立つよ」とか
依子女史。
鷲と蛇って、ツァラトゥストラですかね、ってぐらいしか思いつかないや。
美凪。
椎子でシンクロしまくったあとに読んだからなぁ、なんか薄い。
ところで、皆さんSFと言うとき、何の略称ですか?
このゲームがScience Fictionだといわれると微妙に抵抗感がありますが。
Space Fantasyなら、何とか納得出来なくもないです。
透子。
すみません、綾波かマルチかと思ってました。
人に見せられない食事の仕方とか。
綾波なら当たらずとも遠からずと言えないこともないか。
つまりはこれ(の2番目の引用文)ですね。
世界に充実がないとか、クオリアの問題とか、言われてる奴です。
OPにでてくる台詞「私には意味が欠けている」(正確ならざる引用)からして、そうですし。
でも、「食器は片付けた方が良い」っていう、倫理的命題を言ったりもするんだよなぁ。
微妙に引っかかる。(周りの人をトレースしてるだけかもしれないが)
ところで、エアコン話は情報科学(この場合情報工学?)の基礎ですが
このゲームで情報科学に対するのが多少広がった気はする。
技術的な部分はともかく、思考の方向性としては結構近いかな、とか。
慧子。
充実とかクオリア以前に、世界を失ってしまったひと。
ポストモダンに対するモダン、という評価がなされてもいるゲームだけど、
このシナリオに関する限りはその通りかな。モダンいうよりも近代、ではあるけど。
例のライプニッツよりも後の時代の人の自由とか世界とか他者とか。
ライプニッツといえば、彼に情報科学が理解できたはずもないってのを昨日書き損ねてた。
「モナド(自己完結的主体=人間)には(外界と交渉するための)窓がない」で知られるライプニッツは、
モナドの内に世界で営まれる全てが映し出され、それが個と全体との関係だと考えてた。
彼は、あくまでも共同性の中での個と全体との関係をみていたわけで、
他者がまずもって異者であるような中での、他者志向やコミュニケーションの技術には目が向かなかっただろう。
あるいはそれは、オランダという異邦の地で過ごしたデカルトなどには理解されたのかもしれないが。
10月16日(月)
sense off
椎子、読了。
えーと。
いかにそれが演出装置だとしても、密着しすぎると殆ど何も言えないですよ。
一応これをする事で、モラトリアムを維持してるわけですから。
これの後半部分とか。
ところで、数学者は世界を支配したがるという話。
この場合、私にとっては武器が数学じゃなくて、哲学だったという、
ただそれだけだったりする。
科学哲学から言語哲学ベースの他者関係性にシフトしたのも、
別段その辺を反省したわけでもなく、ただそっちの武器の方が強力だったからなのだけど。
んで、数学が示すのは世界の意味ではなくて形式なのは(「論考」)
支配の手段としては、確かに十分ではあるのだけど、支配してる実感が薄くありませんか?
ま、哲学(的なもの)はともかくも演出手段ということで、昨今のその手のゲームでは
魅力的なのばかりが引かれていますが、いいかげん、ニーチェねたはもう十分だし、ウィトゲンシュタインもね。
同様に、数学や物理学が新科学哲学の流れで言われ放題なのとかを気にする人はいないらしく。
フッサールとか、面白いと思うのだが。
数学者やってたら心理主義と罵られるし、弟子のハイデガーに大学追われるし、
あげく、デカルト主義追求して他者を導こうとしたけど、失敗したと目されてるとか。
先日も書いた通り、特にEDソング辺りが現象学だと思うのだが。
とか言いながらも、エヴァ/ONE/Kanon/AIR/とらハのほのぼの系SSを読み漁ってるのも間違いなく私なのですが。
ハッピーエンド至上主義者でもらぶらぶ至上主義者でもないですが、ほのぼの系なら譲れないっす<何が?
さて、明日から千葉大の永井均師の集中講義なのは、すばらしいタイミングと言うべきか。
最近の著書「マンガは哲学する」が課題図書らしいが、私を含め周りの連中誰も読んでない感じ。
もっとも、調子に乗って「ゲームは哲学する」とかをレポートで提出しかねないのですが、私。
10月15日(日)
仙台コミケ。
懲りずに、又、行きます(笑)
少なくとも、新刊が出るたびには。
10月14日(土)
sense off
成瀬、珠季を読了。
とにかく、AIRをある程度、昇華/消化/消火した所で読んだのは良かった。
今回は「冷めた目線で分析的に」では殆どの時間、読めなかったのですが、
なんとなくの印象では、成瀬シナリオの終盤とか、現象学っぽい感じを受けた。
判断停止とか、他者への移入とか。
んで、シナリオ中盤以降の殆どの時間は、4/9、4/12、4/16、更にはそれらを経ての残余収録論文などを
書いた動機になってる個人的な部分を痛烈にえぐられる。
以下、珠季向け風に、書き逃げ。
僕は、この感情、一般には恋愛感情と呼ばれる感情を、何とかして正当化したかった。
普通ならやらない、とされる行為を、何とかしてやり遂げる基盤が欲しかった。
最初に見出したのは、思い込みによる正当化だった。
でもそれは、自分を二つに分割するだけだった。
そうじゃない。
その行為や感情や関係を、思い出が(歴史が)正当とする、って事に気付いた。
僕の世界は確かに終わる。君の世界も終わる。でも、僕らの世界は終わらない。
10月13日(金)
Pure Mailをやってみる。
OS画面には協力メーカーのソフトがインストされてるとアイコンが出るようになってるみたい。
ら☆PONが出るって話だったけど、うちのには青空が出てるし。
このゲームを表して、人間くさいとした発言をどこかで見かけたけど……
どうかなぁ。
とりあえず、チャット、というかIRCの使い方は微妙に、少なくとも私のとは、違ったり。
恋愛ネタを話すときって、もっとこう、行間を読むような、反応速度を計るような、感じがある。
いや、そういう文脈でIRCで会話したことはないのですが。
んで、Pure Mailは一時中断して、現在は本命のsense offに移ってプレイ中。
10月10日(火)
連休中、実家に行ってみたり。
受験生な後輩連中とONEやらAirで話してみたり、カラオケ行ったり。
んで、Air
民木☆唯さん(O-TRAP)の観鈴SS「観鈴ちんの恐竜」が妙にはまる。
いや、もう、転生の話とか、翼人の話とか、さよならとか、重要だけどね。
こういう世界が読みたいんですよ。Airでは。
最近考えたこと。
カントの掲げた3つの理念の中で「魂の不死」が今まで良く見えなかったんだけど、
「いつかは神へと辿り着きうる可能性」ではなくて「行ったことは決して消えない」ってことかもしれない。
神にも無にもなりうる「自由」があって、最上の存在者である「神」があって、
それらを引き受けていく動機として「魂の不死」があるという構造は変わらないんだけれども、
いつかは完全性に辿り着けるという可能性よりも、今ここで行う不完全な行為も決して無駄でないという現実性の方が
やはり、僕には好ましく思えるのですが。
こちらなどとも関連して。
10月4日(水)
最近やってたこと。
PHSを623Pに変更。
以前の622Sが同じ症状を2度出したために、修理に出さずに……という理由。
携帯と違ってPHSは機体代金が安いのが救いか。
同時発音3のFM音源っぽいので、色々と遊べるのは確かで
「nikoensis -追想-」とか「MATOYA FC Ver.」とかを打ち込んでみたり。
でも、今年2度目の電話帳リセット。
青空といえば、某スペシャルページで堀田さんSS「男たちの憂鬱」が上がっていた。
青空で足りなかった部分をきっちり抑えてて、必見。
んで、ヨーグルトさん(PASSING-TENTION)が新作を公開されていた。
やはり窓は超能力と気合ですか。
……ではなくて、「夏影」のアレンジが。ふぅ。
後期の授業が始まって、可能と現実とかいう話が気になる。
自由な意志があるから可能性があるわけで、意志はともかく自由はなさそうな
マルチには可能性とかはなくて、全て必然性の連鎖の中に存在してて。
だけど、可能性が幾らあっても、それが現実のモノじゃない事が、
いまこの手につかんでいるモノではない事が、気になることがあって、
そういう時、可能性が無い為に未来も過去も全てを手にする事が出来るのが
とても、羨ましく感じられるときがある。