高度ロボット化社会の倫理学 第7回

Cain Farrel (c.f@ijk.com)


 さて、前回までは主にメイドロボットに代表される人工知性の持つ判断力や自律性について、その倫理的側面を考えてきたわけだが、今回は人型形態のメイドロボットに特有の倫理面について考えてみよう。

 人型形態のメイドロボットの場合、人間との外見的類似性から来る特質を持つ。それは端的に表現すると「人間との区別がつかない」と言うことである。その結果、「メイドロボットが人間の身代わりとなる」事が危惧される。
 メイドロボットが人間の代替物として扱われる事については、多くの論点がある。あくまでもメイドロボットが人間の所有物であると言う見地に立てば、その所有者がどのような扱いをするのも自由と言うことになる。無論、所有者以外の人間が所有者の同意なしにメイドロボットにたいして何らかの損害を与えることは許されない。
 では、所有者であればメイドロボットをどのように扱っても構わないのだろうか。この点に付いてはもう少し深く考える必要がある。前述したように、人型形態のメイドロボットは人間の代替物として扱われうる。つまり、人間に極めて良く似た外見的特徴を持つメイドロボットは精巧な「形代」となりうるのである。所有者が何らかの代償行為として、人間に対して行えば犯罪となるような行為をメイドロボットに加えた場合、それは許されるのであろうか。
 この種の問題はメイドロボット登場以前からある分野で幾度と無く論議されてきた。それは、いわゆる風俗産業(性産業にだけでなく、風営法の対象業種全般)の存在に関わる論議である。その論議には常に2つの主張がある。一方は犯罪抑止効果があると言い、他方は犯罪を助長すると主張する。
 これは、メイドロボットにおいても同様である。人間の身代わりとしてメイドロボットを扱うことが犯罪の抑止効果を得るとも考えられるし、そういった事を許すことは社会全体のモラルハザードを引き起こす可能性も否定できない。さらに、この事例の場合には、メイドロボットは人権の無い所有物であると言う点が性産業との決定的な差となって現れる。
 実際問題としてはどのように対処すべきだろうか。現在の法体系では世界の事物は2つに分けられる。つまり、人権を持ち人格を尊重される人間と人の所有物である物(これには土地や貨幣や動物や、およそ人間以外のすべてが含まれる)とである。いかに人間に似た外見を持ち、人間のような応答をするとしても、この二分法の中でメイドロボットは物の側に入る。それゆえ、法体系の中で人間並みの人権を保障することは当然ながらできない。
 しかし、全く自由に扱っても構わないと言うことは認められない。メイドロボットが可哀相だからではない、人間に対する犯罪を誘発する可能性があるからである。この際、参考にできるのは麻薬類に対する規制である。極論を言ってしまえば、麻薬を使った者がその中毒症状によって破滅することは自由である。しかし、なぜ麻薬類が規制されるかと言えば、それによって犯罪が誘発される可能性があるからである。同様に、メイドロボットにひどい扱いを行った結果、所有者自身の金銭的な損害を生むことは問題ではない。このような事が社会全体のモラルハザードを引き起こすことが問題なのである。
 具体的にどのような規制を行うかに付いてはさらに議論の余地はあろうが、少なくとも全く野放しで良いと言うことにはできないだろう。



注記:以上の文章はサークル「豆満江開発機構」の99年夏の同人誌「Oh!HM」むけに執筆したものです。その性質上、「お手伝いロボット程度のメイドロボは実用化されてるが、マルチ並みの情操は今のところ不可能」という前提となっています。







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