彼女のいた空

text by くわね(kuwane@fc4.so-net.ne.jp



昭和20年8月13日 1500時 愛媛県 松山飛行場

 浩之は、マルチにあてがわれた宿舎の部屋の戸を叩いた。ここ一週間ほどですっかり彼にとって日課になってしまった行動だった。彼等は、暇だったのだ。
 震電改、そしてネ30ジェットエンジンは、あまりに手の掛かる代物だった。僅かな飛行を行っただけで、その時間に数十倍する整備を行わなければ、再びまともに動かすことさえ出来なかった。工業力の低下によって、使用される部品の精度、信頼性が低くなっていることもその傾向に拍車をかけていた。
 二日か三日に一度、わずか数十分の飛行。それが限度だった。
 二人きりの実験飛行隊には、新たな搭乗員が配属される様子はなかった。あまりに手間のかかる震電改に、これ以上人を割くことが無駄だと判断されたのだろう。
 それもまぁ、いいか。浩之はそう考えることにしていた。彼にはマルチと過ごす怠惰な時間が貴重な時間と思えたのだった。
「入るぞ」
 部屋の中に向かって声をかけると、元気な返事が返ってきた。その元気な言葉に、浩之は少しだけ表情をかげらせると、扉に手をかけた。
 真っ暗な部屋の中、手探りで電灯をつけると、部屋の中を埋め尽くす沢山の機械類、そしてそれらの間を所狭しと這い回る電線が見えた。マルチの案内で初めてその部屋に入ったとき、その光景に浩之は思わず圧倒されてしまったほどだった。それらの中心に蓋の開けられた箱のような、あるいは口の悪い者ならば棺桶のようなと言うであろう、マルチの充電器も兼ねた寝台が置かれていた。
 飛行予定が組まれていない日の彼女は、エネルギーの節約のためにその中に寝ていた。浩之は勘を鈍らせないために基地の片隅に置いてある古い零戦に乗り哨戒飛行に出ることもできたが、マルチは震電改の他には乗ることが出来なかったからだ。
 寝ているとき、何を考えてるんだ?、一昨日、ふと気になって浩之は聞いた。マルチの答えは簡単だった。何も考えません。私、機械ですから。
 その時はそうか。と答えたものの、納得できない部分が浩之にはあった。
 寝台の脇に浩之が立つと、首と手首、さらに腿に配線が接続された状態のマルチが首だけを動かして、こんにちは、浩之さん。そう、微笑んだ。
「外はいい天気ですか?」
 機械類が壁一面を埋め、僅かな光しか射し込まない彼女の部屋からは外の天気を計り知ることは出来ない。
「ああ、悔しいくらいにいい天気。まさに飛行日和だ」
「そうですかぁ」
 そういってマルチは目を細め、天井を見つめる。
 その仕草が、浩之にはひどく寂しげな物に思えた。そして同時に、何故かホッとしたような様子であるようにも。
 沈黙の合間に、機械類の作動音がどこかから響いていた。
「なぁ、マルチ」
 マルチの顔に一番近いところにしゃがみ込み、寝台の縁に肘をつくようにして、浩之は口を開いた。
「はい?」
「お前、この戦争。どうなると思う?」
「浩之さんは、どう思っているんですか?」
 マルチは、再び僅かに首を動かす。
「正直なところ、もう、駄目なんじゃないか。そう、思う」
「どうしてですか?」
「広島と長崎に新型爆弾が落とされたって話は聞いただろう?たった二つの爆弾で、街が二つなくなっちまった。そんな爆弾がなくても、俺達にとっちゃ普通に飛んでくるB公だってかちすぎる相手だ。そんなんだからあっちを焼かれ、こっちを焼かれ。日本は虫の息だ」
 斜め下を向きながら、吐き捨てるような浩之の言葉。
 マルチは、少し困ったようなにそれに答える。
「そうですね、戦争は、もうダメかも知れないですね。………でも、全部なくなる訳じゃないですよね」
「そう、だな」
「なら、大丈夫ですよ。日本は、きっと、大丈夫です。絶対、笑える日が来ます」
 マルチの精一杯なのだろう笑顔を見ながら、そうだな、と浩之はもう一度くりかえす。全部なくなる訳じゃ、ないんだもんな。そして彼は、この戦争が終わったら、一緒に笑えるといいな、と続けた。
 マルチは、少しためらうような様子を見せてから、それでも笑顔で、そうですね、と呟くように答えた。それが何を意味するものか、浩之はあえて考えないことにした。ただ、元気出せよ、そう言っただけだった。彼なりの気遣いだった。


昭和20年8月14日 2000時 愛媛県 松山飛行場

 夕食後、浩之はどこからか手に入れてきた一升瓶と茶碗を持って、長瀬の元を訪れた。
「長瀬技官、息抜きにどうです?一杯やりませんか?」
「いいですねぇ」
 灯火管制目的でカバーを掛けられた電灯の下で、彼等は酒を酌み交わした。酒のこと、ここ5日ほど全く飛び上がらない震電改のことと、当たり障りのない会話がしばらく続いた。
 不意に沈黙が訪れ、長瀬が口を開いた。
「今日は、マルチのことですか?」
「分かってたんですか?」
 浩之が意外そうに言うと、他に何かありますか?、と長瀬は寂しげな笑みを浮かべた。
「じゃあ、単刀直入に」
「マルチはただのロボットですよ」
 浩之が全てを言い終える前に、長瀬は口を開いた。浩之は開きかけた口を閉じないまま長瀬を見つめる。
「マルチはロボットです。マルチの開発副責任者の私が言うんだから、間違いないですよ」
 さらにもう一度マルチはロボットです、という部分を強調して言うと、長瀬は茶碗の中身を一息に空け、言った。
「藤田さん、ちょっと酔っぱらいの独り言を聞いてもらえます?」
「ええ、いいですよ」
 長瀬の大きくはない目に、アルコールの影響が一切表れてはいないことを確認した上で、浩之はうなずいた。それに対して長瀬は、ありがとうございます、と丁寧に応じると、語り始めた。


 藤田さんはここの前どこでしたっけ。蓆田。ああ。九州でしたね。その前は台湾?それはそれは。出身は千葉。はぁ。私も中学までは藤沢なんですけどね、大学から京都で。それから関西です。ええ、ええ。
 私はここの前は伊丹の、その外れのね。まあ、関東の方に言っても分からんと思いますのでもっと詳しいことは言いませんけど、とにかくその辺にある海軍と篤志家の人がが金出し合って作った来栖川技術研究所ってとこでしてね。そこで自動兵器の研究をやってたんですよ。勝手に飛んでくれる飛行機やら勝手に航行してくれる潜行艇やらのです。
 マルチはその課程で生まれた副産物みたいなものでしてね。最初からあの子みたいなのを作るつもりはなかったんですよ。でも、それ専用の兵器を作るよりも人間が扱える兵器を自動化する装置を作った方がいいんじゃないか。そういう話になりましてね。
 だったら人型の機械が楽だろうってことで。そりゃそうですよね。人間が扱う兵器は人間が扱いやすいように作られてるんですから。それで計画が本当に動いちゃった。これがアメリカと始める少し前の話です。
 そんな話聞いたこと無い?そりゃあそうでしょう。軍機ですからね。その上、全然計画には問題が山積みで。夢物語みたいなものでしたからね。まじめに話したって誰もまじめに取り扱っちゃくれないでしょう。なにより大和、武蔵の類と違ってできあがるものがあまりに地味ですしね。まぁ光学とかやってるのの作るものに比べればいくらか派手ではありますけど。
 ええ、で。頑張ったんですよ。そりゃ色々とね。私は制御系が専門ですけどその他に機械系の人間もたくさん居ましてね。試作機の仕様を固めるまでにまず一苦労。一生で作る書類のかなりの部分をあそこで作ったんじゃないかと思いますよ。二度としたくないですけどね。
 で、試作機を、まずは機械系の技術試験用のやつを何機か作って。頭だけあってもしかたないですからね。途中から本格的な頭を乗せようってことになりまして。
 まぁ、この辺の話はどうでもよくはあるんですけどね。
 でも、頭は結局全然話が進まなくて。何を使ってどうやったらいいんだろうって。そんなこと誰も考えつかなくってね。
 ときに藤田さんはSFって知ってますか?サイエンス・フィクション。ジュール・ベルヌとか。知らない?押川春楼や海野十三も近いもの書いてますけど、ああ、それならご存じ。
 その手のSFに出てくるんですよ。機械の体に人の脳、ってのがね。
 ええ、だから。
 もちろんいきなり人を使うわけには行きませんからね。最初は犬を使って。ある程度しつけた犬をですね、ええ。犬は百匹も殺さなかったとは思います。そこまで実験しないうちに何とかなるメドが立ちましたから。
 でもその間にアメリカとの戦争は始まってましたし、気がつきゃ空襲もね。
 ああ、別にあなたを責めてるわけじゃないですから、そんな済まなそうな顔しないで下さい。
 最初に言いましたけど、研究所は伊丹の外れにありましてね。
 疎開はしたかったんですけどいかんせん機材とか、デリケートなものが多くて。どうも空襲にあっても引っ越しをしてもどちらにせよダメになるんじゃないかってことになりましてね。結局もとの場所で研究を続けたんですが。
 今年の3月に大阪と神戸が手ひどくやられたときに、ついでみたいにやられましてね。
 研究所自体は無事だったんですけどね。機材もひっくるめて。
 グラマンの機銃掃射に何人かやられちゃったんです。そのなかに職員の家族の女の子がいましてね。優子ちゃんっていいましてね、堀井さんって職人さんの一人娘で。可愛い子でした。
 すぐにお亡くなりになったわけじゃなくて、重傷だったんですよ。薬とかあればどうにかなったのかも知れないんですけどね。
 昨今の情勢じゃ。いくら海軍のお墨付きの研究所のツテっていったってねぇ。


 長瀬は不意に言葉を切る。
「今日はもう、遅いですね」
 九割方空いている書類棚の、その横の壁に掛けられた時計に二人が視線を向けると時計の針は2130時を回ろうとしていた。
「続きは今度にしませんか?」
 浩之は、今日は長瀬がこれ以上何かを語ってくれることはないと直感し、立ち上がると、長々申し訳ありませんでした、そう頭を下げた長瀬に挨拶をして、部屋を出た。



つづく







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