<Kanon-1945>

くわね (kuwane@fc4.so-net.ne.jp)


#0
「お帰りなさい祐一さん」
Jan. 11,1945


 相沢祐一は隣を歩く幼なじみ、水瀬名雪の顔を見て微かな笑みを口の端に浮かべた。それに気がついた名雪が、明るさと怪訝さの両方を含んだ声でたずねる。
「何?」
「いや、なんでもない」
 彼らの視界は、灰色の空を除けばそのほとんどが白い雪で覆われていた。ここはベルリンの東およそ100キロメートル、地方都市フランクフルト(一般に知られるフランクフルト、ドイツ南部のフランクフルト・アム・デア・マインとは別の街だ)からさらに東に行ったオーデル川東岸のうち捨てられた集落だった。
 二人は軍人、より正確に言うならば武装親衛隊の隊員であり、ともにコートの上からさらに白い布で作られた冬期迷彩スモックを着用していた。その冬期迷彩スモックを脱いだならば、祐一の軍服の肩には彼が士官候補生であることを示す徽章が、名雪のそれの袖と肩には彼女が軍曹であることを示す徽章が、それぞれ顔をのぞかせるはずだった。
 祐一はブラウンシュバイクにある武装親衛隊幹部学校での速成教育を修了したばかりで、今日、ようやく原隊に復帰したところであった。士官候補生は幹部学校を出た後、およそ三ヶ月の部隊配属を経て士官に任官されることとなっている。
 へぇ、と呟いて、祐一は足を止めた。
 彼らの部隊、第39義勇独立対戦車猟兵大隊<メッケル>第2中隊、その臨時の中隊本部となっている建物のある広場の中心に、針葉樹の巨木が立っていたのだった。
 祐一につられて名雪も、今にも雪を降らせそうな、重い色の空に突き刺さるように立つ針葉樹を見上げるようにして足を止めた。
「また、雪かな」
「どうせなら、ずっと止まなければいいのにね」
 何気なく漏らした言葉が、名雪から引き出した反応に受けた感情を表に出さないように、祐一は瞳だけを名雪に向けた。針葉樹の頂上を見つめる名雪の瞳が、僅かに震えているような気がした。
「なゆ………」
 名前を呼びかけて、やめる。
 そして言い直す。
「水瀬軍曹」
 なに、と普通に返事を返そうとして、名雪も言い直す。
「なんでしょうか、相沢候補生殿」
「ん、なんでもない」
 そう言って祐一は名雪の頭を略帽の上から軽く2回、手のひらで叩いた。

「おかえりなさい、祐一さん」
 中隊司令部に出頭した祐一をまず最初に迎えたのは、中隊長である水瀬秋子大尉のその言葉だった。
「相沢祐一候補生、ただいま帰りました」
 祐一はナチス式の右手を掲げる敬礼を行う。それに対して秋子は座ったまま、ただ微笑むだけだったが、祐一にとってはそれが何よりの答礼に思えた。
「幹部学校はどうでしたか?」
「比較的楽なところでした」
「そうね。戦場ではないものね」
 そこで言葉を区切ると、秋子はついたての向こうにいるはずの倉田佐佑理中尉に声をかけた。
「は〜い」
 緊張感、というものがどうにも感じられない声が聞こえ、佐佑理が姿を現した。なにやら帳面のようなものを小脇に抱えている。
 彼女は中隊の主計将校だったのが、相次ぐ損害の結果として中隊副長のような立場になっていた。本来の仕事がなくなったわけではないため、仕事の量は以前よりも大分増えているはずだが、彼女の顔から微笑みが消えることはなかった。
「お久しぶりです。祐一さん」
「お久しぶりです。佐佑理さん」
 彼女の空気にひきずられ、祐一ものんびりとした挨拶をしてしまう。
「さて、佐佑理さん」
 胸の前で両の手のひらをあわせながら、秋子が言う。
「祐一さんにはどこに行ってもらいましょうか」
「第3小隊長が欠員のままです」
「やっぱりそこかしら」
 第39独立対戦車猟兵大隊はあいつぐ欠員がほとんど補充されないまま二個中隊編制になっていた。その二つの中隊は大ざっぱに言えばそれぞれが三個小隊で構成されている。対戦車砲を装備するのは第1及び第2小隊の2個小隊で、合計で4門。中隊全体では8門になる。少ないようにも見えるが、砲の移動手段を馬に頼っている現状では、それでもぎりぎりであった。そして、第3小隊は敵戦車隊の随伴歩兵に対抗するための歩兵部隊であった。
 戦闘にあたっては実際に先頭に立つ下級士官の数が常に不足するのは軍隊の常であったが、ここではそれがさらに顕著であった。
 表情を引き締め、秋子が立ち上がる。
「相沢祐一候補生」
「はい」
「貴官を第39独立対戦車猟兵大隊第2中隊第3小隊長に任命します」
「承りました」
 祐一の返事を聞いて、再び秋子は表情を和らげた。
「第3小隊の小隊軍曹は名雪です。あとはあの子に聞いて下さい。あの子をよろしくね」
「はい」







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