丘と空とお茶と
4月の週末。物理教室の掃除当番を終えて校門を出ようとした美汐は、そこで祐一に声をかけられた。彼特有の、人懐っこくもあり何か企んでそうな表情を浮かべながら、美汐を百花屋に誘ったのだった。
そして、美汐と祐一は窓に面したカウンターに並んで座っていた。美汐の前には飲茶セットが−頼んだ時の彼の表情はいつもの台詞を言いたげであったが黙殺した−が、祐一の前にはブレンドと特大イチゴパフェが並んでいた。
「たまに食べたくなるんだ。ほらいつも名雪が食べてるだろ。だから」
言い訳した彼を見て、美汐は微笑むとともに、ちょっと微妙な気分になった。
パフェのアイスクリーム層に取りかかっている祐一を横目で確認しつつ、背景の空のまぶしさに目を細める。
「約束は、守っていただけているようですね」
「約束?」
「どんな事があっても、相沢さんは強く在って下さい……と。私には、出来ませんでしたから」
「ああ。元気だけが取柄みたいなもんだからな」
そう言って、再びアイスクリームに取り掛かる。単純に上から攻めるのではなくて、半分を残しながら深さを追求しているように見える。残された反対側にあるイチゴを取って食べてしまったら、どんな表情をするだろう。
そこまで考えて、自分の考えがひどく恥ずかしいものであった事に気付く。この人といると調子が狂う。そう言い聞かせて、先ほどの考えを頭から追い出す。
「それに……」
「それに?」
「……天野がいたからな」
「なっ。何を言うんですか」
どきり、とする。危うく零しかけたお茶を飲み干そうとして、熱さに舌をひりひりさせながら、茶器を置く。
「何をって、言われてもなぁ」
「あ……あの、その、それじゃ真琴は……名雪さんだって。そんな、私……」
「真琴は半分妹みたいなものだろう。名雪もだけどな。まったく、手のかかる妹たちだよ」
「だからさ。天野は……」
窓の外の空を見上げながら祐一は続ける。冬のかすんだ空ではなくて、もっと純粋な青い空だ。いつか、私もあそこに行くことになるだろうか。真琴や……あの子に会えるだろうか。
「友達だろう? 俺たち」
祐一の続けた言葉に笑いの種が含まれている事に気付く。空を見上げていたはずの目は、美汐をうかがっていた。
とたんに感情が切り替わる。からかわれたことに気付き、怒りと悔しさと−−他にも色々な感情が交錯する。
伺うように見てくる彼の視線を避けて、足元に顔を向ける。と、そこに無防備に投げ出されている彼の左足があった。いつもの革靴ではなくスニーカーをはいている。
そして、自分の靴−もちろんヒールなどではない−を確認する。
「痛っ」
「からかったりするからです。まったく、もう」
「痛いなぁ。おまえ、そんなんじゃ、そのうち香里みたいになっちゃうぞ」
「ええ。そうかもしれませんね。栞さんとも仲良くさせて頂いてますし」
悔しかった。私はこの人に何を期待しているのだろう。そして、その期待している事が彼に筒抜けなのだ。栞さんの決め台詞−そんなこと言う人嫌いです−でも見習った方がよいだろうか。
「あのー。天野さん……おーい。天野〜」
祐一が下を向いたままの美汐を覗きこむようにしてくる。顔をあわせたら、また何か言われそうな気がする。この人は何を考えているのだろう。私の考えを見通しているこの人は。
フェアじゃない。そう思った。
「……美汐ちゃーん」
「……そういう呼び方、やめてください」
「お。やっと答えてくれた」
「もう……。それで、さっきのは本当ですか?」
何とか気を取り直す。解らないのなら、聞き返せば良いのだ。
「さっきの?」
「真琴と名雪さんは妹で……私は友達だっていう……」
「おう。本当だぞ。真琴はいきなり殴りかかってくるようなやつだし。名雪は名雪であの寝起きだからなぁ」
祐一の表情は、嘘をついている時のものではないと感じられた。
「そうですか。わかりました」
真琴や名雪さんと、私は違うのだ。それはもちろん以前から知っていた事だけど。なぜか、気分が良かった。
残っていたお茶に口をつける。空と大地の接点に丘の稜線が見えた。
お茶を飲んでしまうと、美汐は席を立ち、伝票と鞄を手に取った。そして祐一の方へ軽く一礼をする。
「今日はありがとうございました。これ、払っておきますから」
「あ、おい」
なんともつかないしぐさをする祐一を見て、更に続ける。
「それから、後ろの席……名雪さんと香里さんですよ。気付いてました?」
「それでは。失礼します」
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