Casual meeting

C.F (c.f@ijk.com)


「お客様。こちら、相席よろしいですか?」
 いつもの喫茶店のいつもの席でいつものように本を読んでいたら、店員に声をかけられた。近所で何かあったのか、いつもならば相席になるような時間帯でもないのに、今日は妙に混雑していた。いつもの中に入ってきたのは物静かな人々で、今まで彼らに気付かないでいられたようだ。
 店員に頷いて返して、再び文庫本に注意を戻す。しばらくして、4人がけのテーブルの斜め向かいに人が座った気配がして、トマトソースのパスタランチを注文しているのが聞こえた。「辛くしないでくださいね。鷹の爪抜きですよ?」と何度も確認する女の子の声が意識の周縁を通り抜けていった。



 何気なく入った駅前近くの裏道で見つけた目立たない小さな古書店。この種の古書店の例に漏れず、店のガラス戸の前には「1冊100円・3冊で200円」という札と共に台の上に乗せられたダンボールいっぱいの文庫があった。そして、いかにも1冊100円な文庫の束の中に、以前読んだ本の中で登場人物が読んでいた小説をその中に見つけた。
 妙にスムーズに動くガラス戸を引いて、店の中に入る。壁一面の書棚を埋める本を見渡すと、学術書や古典といった定番商品の中で海外小説の文庫が一角を占めているのが目に付いた。それらを眺めながら、10歩も歩かないうちに辿り着いてしまう店の奥のカウンターに、年配の店主が座っていた。
 店主に文庫本を差し出す。
「ハイ。100円」
 財布の中から100円玉を取り出して、店の印が押された茶色い紙袋に入れられた文庫と引き換えに受け取る。
「それ、おもしろいよ。同じ作者のやつ、うちにまだあるから、良かったらまた見に来てや」
 店主のその言葉に「はい」と答える。良い所を見つけた、と思った。扱っている本、それもさほど利幅のない文庫の類の在庫を把握しているのは、良い書店の基準となりうる。
 そして、たいして厚くもないその本を読みきってしまおうと、ここに来たのだった。



「やっぱり辛いですー。人類の敵ですー」相席になった女の子の独り言をBGMに1時間ほどで小説は読み終わった。SFともファンタジーともつかない内容のその小説は期待していたよりずっと面白かった。

 文庫本を置いて、おかわりしたダージリンで一息つく。

 と、相席の彼女と視線が合った。人類の敵を退治し終わったらしく、セットのアメリカンに大量の砂糖を移植している最中のようだった。
「こんにちは。かわいい表紙の本ですねっ」
「え?……ええ、そうですね」
「おもしろかったですか?」
「はい」
 癖の無いセミロングの黒髪が印象的な彼女は相当な量の砂糖を投入した元アメリカンコーヒーを口にして、そう言った。そして、人見知りする性質の私にはない人懐っこい笑みで、小説のあらすじを私にせがんだ。
 持ち主に忘れ去られた別荘備え付けの家電製品が、都会の主人に会いに行く。要約してしまえばただそれだけのあらすじを、彼女は表情豊かに聞いていた。その反応が心地よくて、あらすじにとどまらない細部まで入り込んで、私は語っていた。
「思った通り。面白そうなお話ですね」
「思った通り?」
「だって。それ読んでる途中のあなたの表情見てたから。どんな面白いお話なんだろう?って思ってました」
「そ、そうですか……」
 人類の敵と戦う彼女を観察していたつもりが、逆に私の百面相を観察されてもいたらしい。とりあえずの救いは通りに面したビルの二階にあるこの喫茶店で私の顔を覗き込むことができたのは彼女だけだったことだろうか。



 浸透圧でいかな生物も生きられないのではないかと思うほどのコーヒー風味砂糖水を飲み干して、彼女は脇のいすの上に置いたバッグから何かを取り出した。
「えっと、その本のタイトルと作者さん、もう一回教えてもらえませんか?」
 そして、取り出したものを広げる。パステルカラーで彩られたそれはPDA、それもかなり新しいタイプのカラー液晶タイプだった。同じシステムを搭載したのを私も持っているがビジネス向けの黒一色モノクロタイプだ。
「帰りに本屋さんに寄って買いますから」
 そう言って彼女は微笑んだ。
「そうですか……」
 言いながら私は少し考えた。……少々もったいないけど。うん。

「差し上げます」
 私はテーブルの上に置かれている文庫本をとって、彼女のほうに差し出した。
「え?でも、悪いです。これはあなたのでしょう?」
「いえ、私が持っていても、これからほとんど本棚でしょうから。それなら読みたい人に読んでもらった方が本も幸せだと思います」
「そうですけど。でも、やっぱり……」
「じゃ、こうしましょう。今度あなたの本、何か1冊私に頂けませんか?」
「はい。でも、どうやって渡したら良いでしょう?」
「私、このお店に結構来るんです。特に授業のない水曜日の午後はたいていいますから」
「あ、水曜日なら大丈夫です」
「それでは、また来週ということでいかがですか?」
「はい。来週までにこの本読んでおきますね」
 そう言って、彼女は未だテーブルの上に置かれていた文庫本を取り、広げたPDAを閉じた。



「わ。もうこんな時間です」
 閉じようとしたPDAの時刻表示を見たのだろうか、彼女はさほど切迫感のない口調で呟いて、PDAと文庫本をバッグにしまいこんで、立ち上がった。小柄かと思ったが結構背が高い。腰高で、つまりはプロポーションが良いらしい。
「ごめんなさい。今日はこれから友達と待ち合わせてるんです」
「はい」
 彼女がすまなそうな顔をして謝ってくれるので、私も精一杯の笑顔で頷いて返した。

 テーブルの上の伝票をつかんで、彼女は羽織ったジャケットを直しながら、キャッシャーの方へ歩いていく。
 数歩行ったところで、彼女の姿を見送っていた私に振り返った。
「また、来週会いましょうね。天野さん」
 今まで一度も会ったこともないはずなのに、そのとき彼女が呼んだ名前は確かに私の名前だった。
「え、どうして?」
「さてどうしてでしょう?答えはまた来週、です」
 サヨナラ、またね。と、手を振って、彼女は店を出て行った。

 そして、その後の1週間私は彼女の記憶を探る事に心をとらわれて、いろんなミスをすることになった。





トーマス・M・ディッシュ「いさましいちびのトースター」ISBN4-15-011167-7



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