物事はすべて、
始まり、そして、終わる。
定められた時と場所で−−


ONEからさめない


text by くわね(kuwane@fc4.so-net.ne.jp


#1 空の音が呼ぶ

 あの日以来、電車やバスに乗ってどこかに行くことが多くなった。
 最初のうちはよく分からなかったし、それに一人じゃ怖かったから雪ちゃんについて来てもらったりしたけど、今はもうすっかり平気だ。山手線の駅の名前も、名前だけなら大体覚えたし、ちょっと難しい乗り換えも何となくだけど出来るようになった。
 そうやって色々な場所に行って、色々な場所で耳を澄ます。
 空の音に。
 けれども、どんな場所でも、どんな人混みでも、空の音は聞こえなかった。
 でも、どこかにあるんだって、どこかにいるんだって、信じて。自分の中の醒めた部分が「そんなもの見つかる訳ない」って言っても、信じたがっている自分がいて、時間が出来るとどこかへ出かけた。
 空の音を探しに。
 私を、前を向いて歩けるようにしてくれた、浩平君のくれた音を探しに。

 あの日。もう一年も前になるあの日。
 卒業式の次の日の、とても春らしい暖かかった日。
 私達は学校の前で(実は私の家の前なんだけれど)待ち合わせをして、駅前の商店街まで歩いて、別にどうって事はないファーストフードのお店でちょっと少な目の昼御飯を食べて、最後に公園に行った。
 たったそれだけのことだけれど、その時の私にとっては大冒険で、浩平君が誘ってくれなかったら絶対に無理だった、そう思う。
 公園では、色々な音が聞こえた。色々なにおいがした。水、木、花、鳥、色々な音、色々なにおい。
 私がずっと閉じこもっていた世界には、なかった音、なかったにおいだった。
 本当はそんなことはなくて、私がそれを感じようとしなかっただけなのかもしれないけど。
「先輩、動物園行かない?」
 公園の桜の下(私が「何のにおい?」と聞いたら浩平君は「桜だよ」といったのだ)で、ぽつりと浩平君が言った。
「この公園、あんまり大きくないけどそういうのがついてるから」
「いいね、じゃあ今度ね。絶対だよ」
「ん」
 浩平君は、小さく答えた。ちょっとだけ、困ったような声だった。
 桜のにおいのする風に乗って、ちりーん、ちりーんというベルの音が聞こえてきた。
「何の音だろ」
「もう、アイス屋が出てる」
「私、買ってくるよ。何がいい?」
「バニラ、かな。なかったら柑橘系。俺、ここで待ってるから」
「うん」
 短いやりとりがあって、私がベルの音に向かって歩き始めようとしたら、後ろから抱きすくめられた。
 周りの色々な音が全部消えて、空の音が聞こえた。
 それは、浩平君の心臓の音だった。
 とくん、とくん、とくん、とくん………
 たぶん毛糸なんだろう、少しちくちくした肌触りの服の向こう側から、それは聞こえた。
 とても、安心できる音だった。
「アイス、買ってくるね」
「ん」
 浩平君がまた、短く答えた。

 空の音の話をすると、みんな怪訝そうな声で言う。
「なにそれ?」
 その度に私は答える。
「たいせつな想い出なんだ」
 とても気持ちのいい風が吹いていた屋上。
 掃除をさぼってそこに行ったら、やっぱり掃除をさぼって来ていた浩平君がいて、それが始まりだった。
 それから季節がぐるっと巡って、風が冷たくなってきているのが分かる。
 気持ちのいい風が吹く日に、また、会えるかな。もう一度「みさき先輩」って私の名前を呼んでくれるかな。
 私は、待ってるんだよ。



        つづく








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