新しい言葉を学び、コードに忠実に従うんだ
これは永遠に続く 開かれた道
ONEからさめない
#5 水色のノート
別に約束をしたわけではないが、高校の授業が終わってから予備校の授業が始まるまでの間のちょっとした時間や日曜日に、僕と繭は会うようになった。
場所はいつも同じ。あのファーストフードショップだ。
繭はいつもてりやきBOSバーガーセットを頼み、僕もそれにならう。
そしてそこで、僕が先生で繭が生徒の家庭教師のまねごとのようなことをする。
動物園襲撃計画というタイトル、そして折原浩平という署名の入った水色のノートが教科書だ。
何をすると言うわけではない。
繭がそのノートを読み、途中で引っかかる部分を僕が教える。それだけだ。
こういう言い方をすると彼女は怒るのかも知れないが、子どもに本を読んであげると言った方が正確なのかも知れない。
あの日、僕が折原浩平であるという主張を諦めきれずに彼女がナップサックから出したノートには「彼」の名前が書かれていた。
3月の初め頃、突然家に送られてきたのだと、彼女は言った。
そして、忘れそうだった名前を思い出したのだそうだ。
彼と初めてあったのは去年の今頃、つまり12月頃で、長々とした彼女の説明を要約すると、折原浩平とは彼女のことをちゃんと扱ってくれた初めてのひとだったらしい。
「なんとなく、わかるな。その浩平は、僕もよく知ってる」
思わず、そう言った。
それをきっかけに繭と僕は、主に繭が話してそれに僕が相づちを打つという形で、折原浩平のことについていくつかの話をした。そうそう、そんな感じだった。と。
その会話で西岡嬢はかやの外だったが、彼女は楽しそうな繭を見て、なんだかほっとした様子だった。いい子だな、と思った。
繭に言ったとおり、僕は折原浩平についてはよく知っていた。
なんといっても彼は、僕と同じ目をしていたのだから。
その点で、繭が初めて会った僕に言ったことは、大正解だ。
「同じ目」
僕も彼を初めて見たとき、同じように感じた。
その彼は、今「あちら」へと行ってしまった。
挨拶はなかったが、確信できる。
だからこそくだらない遊びで彼の記録をこの世界に残そうとした。そうすることで、消えゆく自分から目を背けたかったのかも知れない。
僕もそろそろ、行かなければならない時が来ている。
「みゅー」
繭の声に、呼び戻される。
中指にバンドエイドを巻いた可愛らしい手が、ノートの一点を指さしている。難解な言葉にでも当たったのだろう。
「それは『おどろかす』って意味だよ」
「みゅ」
理解してくれたのか、再びノートを読み始める繭。
ぱさ、という乾いた音を立てて彼女がノートのページをめくると、もう、最後のページだった。
侵入経路について、侵入してからの行動、セキュリティのかわし方、襲撃においての主たる攻撃方法である放火の仕方。ページを追うごとに偏執的なまでに微細になっていき、逆に何故かフィクショナルなものへと変貌していくように思えたノートの内容は、最後のページで唐突に変質した。
「詩、かな?」
「し?」
僕のつぶやきに、繭が反応した。
きれいな二つの瞳が、見上げるように僕の顔をうかがっていた。
それを無視して、最後のページに半ば殴り書きのように書き付けられた言葉の列を口に出して読んだ。
「光の影の陰。光の奥の底。光の彼岸。光の裏面を巡りて、ここに至る時。時は黄金。黄金こそ時に………」
途中から、それは自分の声ではなかった。
これは、折原浩平の声、か?
「闇は届かず。光もまた追いつけず………」
殴り書きの文字が書き付けられているだけのはずのノートの向こうに、何か顔のようなものが浮かんで見えた。誰だろう。
「こうへい?」
そういう声が、届いた。
そうか、何処かで見覚えがあると思ったら。
がたん。
椅子か何かが、倒れる音。
現実に揺り戻され、音のした方向に目をやると、倒れた椅子だけが残っていた。
深い眠りから強制的に起こされたときのようにぼけた頭で、僕は何がおかしいのかを考えた。
繭が、いなくなってる。
つづく
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