何も見えないで走ってしまう時は
ほんの一瞬なのかもしれない
ONEからさめない
#10 走る
雪がふって寒かった朝。お母さんは何も言わずに、突然家に戻ったわたしを迎えてくれた。
何もなかったように。
抱きしめて、頭をなでてくれた。
そしてわたしは「普通」に戻った。
それからわたしは毎日電車に乗っている。どこに行くわけではないけれど、電車に乗る。
モーターが回る音と焼ける匂い、駅に着く度に聞こえるざわざわした音、走っている間のごとん、ごとんという音、流れる風景、すこし暑すぎる暖房、どれもがみんなほっとする。
わたしの乗った電車が動いているというだけで、ほっとする。
今日もお気に入りの黄色い電車に乗って、あまり人がいない中で椅子に座った。
何も考えないで、向かいの窓の中が流れていくのを見る。
空、電線、ビル、家、看板、別の電車。
たまに、リュックの中から水色のノートを出して読む。
しばらくして飽きたので電車を降りて、戻る電車に乗る。
さっきまで見ていた風景が、後ろへ後ろへ進む。
一度も降りたことのない駅が、わたしの前を通り過ぎる。
ビルの高さが高くなって、低くなって、また高くなって。そしてもう一度低くなって、広い空の下にごちゃごちゃとして、平らな景色が見えてきたら、もうすぐわたしの駅。
駅を降りるとむこうに、駅を飛ばすから好きじゃないオレンジ色の電車がいた。
その中に、シュンと、もうひとり。この前会った女の人。確か、みさきって言っていた。
なんだか楽しそうだった。わたしは、ひとり、なのに。
気が付くと、走っていた。
よくわからないけど、悔しい気持ちだった。
自動改札機に切符を入れるのを忘れた。
後ろから駅員の人が怒鳴る声が聞こえた。
でも、走っていた。
すぐにどこかに行きたかった。次の電車なんか、待っていられなかった。
今、ガラス越しに見える各停のホームの上に繭がいたような気がした。
そう先輩に言うと、先輩は「私には見えなかったけど」と言った。
僕は虚を突かれたような気がして先輩を見つめた。
急に黙った僕に、どうしたの?とでもいいたげな表情だった。
一つため息をして、気のせいだったんだろうね、と言った僕に、先輩は突然言った。
「あのさ、年の始めの新月の水曜日って、次の水曜日だったよね」
「そうだけど?」
「動物園。私も行っていいかな。浩平君が何を考えてたのか、知りたいんだ」
つづく
<珍しく、あとがきのようなもの>
今回は(遅れた上に)本文が短いので、珍しく何か書いてみようかと思います。
お話を書くときには、自分のではない言葉を探します。その作業の課程で、何か見えることもありますし、何も見えないときもあります。比率から言うと、前者の方が多いでしょうか。見える場合は、お話の位置とか、そういうものが意外にはっきり見えます。
だから私は、言葉を探します。
次回は長らく出てきませんでした、七瀬と詩子のお話のつもりです。
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