貴い泉のあらたかな力を蔑ろにしてはいけない。
さあ降りなさい。もう着いたのだ。


ONEからさめない


text by くわね(kuwane@fc4.so-net.ne.jp


#12 D-day

「集合場所は、ここ。動物園へは一般客に紛れて入って、そのあと中で隠れるみたいだから、時間は少し早めの方がいいかな。夜はいつまでかかるか分からないから、厚着してきた方がいいと思うよ」
「じゃ、厚手のタイツの二枚履きかな………ってどしたの?こっちをじっと見て」
「そういう所に地が出るんだなって」
「………うるさいわね」

 おとといの作戦会議で決めた待ち合わせ場所に行くと、公園の木の支柱に鎖を繋がれたレトリバー犬だけがそこにいた。
 留美がジョイを連れてきたらしい。
「ご主人様はどうしたのかな?」
 彼の金色の頭を撫でながら聞いてみたが、返事はなかった。
 留美のことだから、近くのコンビニにでもお菓子を買いに行っているんだろう。きっと。
 私は腰を落としてしばらくジョイと見つめあっていたが、ふいにジョイが動いた。木に繋がれた鎖が、すぐぴんと張って彼の動きを制した。それでも彼は何か面白いものでも見つけたのか、頑張って動こうとするので、私は鎖を木から外してやった。
 戒めから放たれて、ジョイが夕暮れの公園の中を勢いよく走り出す。
 それについて走ると、木立の中に池のようなものが見えてきた。落ち葉やゴミが浮いて、あまり綺麗とは言えない小さな池だ。
 その岸辺の枯れ葉の上に、髪を短く切った、どこか見覚えのある女の子がいた。靴と靴下(のように見えるもの)がその横に置かれていた。
 そしてちょうど、黒いダウンジャケットにブルージーンズ、それを脱いでいるところだった。
 まさかね、と思っていたらあっと言う間に下着だけになったその女の子は、躊躇する素振りも見せずに水の中に足を踏み入れた。
 わずかな胸の膨らみ以外はまるで少年のような体つきの少女の、寒さのためか単に白い、というより何か透き通ったような感じになっている肌の白さが目に付いた。
 その少女が腰の辺りまで水に浸かったとき、ジョイが追いついた。彼は犬かきで器用に少女の進路上にまわりこむと、わん、と一つ吠えた。
 少女がゆっくりと、目の前で声を上げたジョイに視線をおろした。
 私もその様子を見ながらコートとカバンを枯れ葉の上に置くと、意を決して水の中に入る。
 痛い。
 冷たい、とかそういうのを通り越して、痛かった。
 それでもなんとか女の子の側まで行き、その細い肩越しに声をかけた。
「こんな所で何やってるの?入水自殺ごっこ?こんな浅い所じゃ無理だよ?」
 少女からは何も返ってこない。
「ねえ、凍え死んじゃうよ?」
 掴んだだけで折れそうなぐらい華奢な腕を掴んで強引にこちらへ振り向かせると、はじめて私の存在に気が付いたらしい彼女のすこしおびえた目と目があった。
「水から上がろ」
「………たかっただけだもん………」
「え?」
「泳ぎたかっただけだもん………」
 私はそれだけ言うと横を向いた少女の顔を見つめた。
「うん、でもまだ早くない?」
 少女が、青紫色になったくちびるを噛んで、負けを認めた。

 私は彼女を支えるようにして岸に上がった。その横で遅れて水から上がったジョイが勢いよく体を震う。
「ねえ、名前は?」
「しいな、まゆ」
「私は柚木詩子。ね、どっかで会ったことあったっけ?」
 濡れたジーンズを絞りながら聞いてみる。答えを期待してはいなかった。予想通り、何も返ってこない。
 一度絞っていくらかましな履き心地になったジーンズに足を通してから視線を向けると、少女はまだ、下着のままだった。
「どしたの?服着ないの?寒いじゃない」
「パンツ」
「へ?」
「買ってきて」
 私は状況を理解した。つまり、下着が濡れてるから服を着たくない、と。
 わがままなやつ。
 そう思ったが、ここで突き放すとどうなるか分からないので私はカバン、それにジョイを預けて(ジョイに預けて、の方が正確かもしれない)近くのコンビニへ向かった。
 多分この辺だろうと少し小さなサイズのものを選び池に戻ると、下着の上にコートを羽織っただけの繭が、私のカバンからノートを取り出して読んでいた。
「人のカバン勝手に開けないでよね」
 繭の真横から見下ろしながら、私は言った。
 それが聞こえた様子を全く見せない繭はノートを見つめて、ただ、呟いた。
「浩平の、ノート……」
「このノート書いた折原浩平、知ってるの?」
 こくり。
 繭が小さく、頷いた。



        つづく







<あとがきというか>
最初は今回(#12)で終わるはずだったんですが、まだ折り返し点です。
うーん、ほんと、いつ終わるんだろう(^^;



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