私たちにできることは
ただそれらの法則を憎むことだけである。
ONEからさめない
#21 最後の一人称
私が物語を語るのは、たぶん、これが最初で最後。
だって、それは「乙女」の役目じゃないもの。
乙女は語られる存在であって、語る存在ではないの。
友達がいて、出来れば彼がいて(これについて細かくは今は言及しないとして)。イヤなことは試験ぐらいで、とりあえず笑顔でいられる日常に生きていたいと思うから。
その日常の中で小さな物語が、出来れば私が語られる側で存在していてくれれば、それでいい、かな。
現実はそうもいかないけれど今だってそう、思っている。
とりあえず理想は高く、ね。
新月の水曜日、真夜中の動物園。蒸し暑い、温室の中。
非常事態を告げる、消防車のサイレンの音と甲高いベルの音、そして鳥の声が聞こえる。
詩子のペースに引きずられて、私はそんな場所にいた。
煙のせいで喉が痛い。涙も止まらない。
多分、ススのせいで顔はヒドイことになってるはず。
他にも服のこととか髪のこととか、考えたくもないことがいくつか。
足元にお座りの姿勢で、苦しそうに息をしているジョイを見る。
「ね、ジョイ」
そう声をかけると、彼は私の顔を見上げるために首を上に向ける。
炎の照り返しで輝いて見える黒い瞳が、すこし寂しげだった。
その瞳を見て、頭を振る。
大丈夫。詩子は絶対に来てくれる。
そういうとこは、妙に義理堅い奴だから。
それよりも、まだこの温室の中にいるはずのさっきの女の子が気になる。
茶色い髪を顎のラインで適当に揃えた、妙に動物的な印象の女の子。
声を集める。
確かにそう言っていた。
がしゃん。
2層構造になった温室の、その2層目から、ガラスの割れる音がした。
目を向けると、天井にあたる部分のガラスに、大きな穴。
鳥とおぼしき黒い影がいくつか、そこから真っ暗な夜空に羽ばたいていく。
続いて、がしゃん、がしゃん、がしゃん。
何枚ものガラスが壊れる音。そして鳥の羽音。
今度は、私の立つ場所からでは割れた場所は見えなかった。
ジョイをつれてゆっくりと階段を上がると、手に石のようなものを持った、さっきの女の子がいた。
「あんた、何やってるの?」
私は分かり切ったことを聞く。
「逃がしてるの」
そのあいだにも、彼女は別のガラスを割ろうと腕を振る。
がしゃん。
なぜだか知らないけど、それを止めないと、と思った私は彼女に近づいた。
ふと、彼女の側のベンチの上にススで汚れたノートが置かれていることに気がつく。
こんな場所には場違いな、一冊の大学ノート。
吸い寄せられるように右手をのばす。
見覚えのある字で、見覚えのあるタイトルが書かれていた。
動物園襲撃計画、折原浩平。
「なんで、これ……こんなところに…?」
駅で拾って、モスの2階で詩子に渡して。
だから、詩子が持ってなきゃいけないはずなのに。
ノートを女の子に示そうとした途端、女の子が突っかかってきた。
あまりに急なことで、避けきれなかった。
「みゅーっ!」
何がどう「みゅー」なのかよく分からないけれど、信じられないような力で、女の子は私の右手からノートを奪おうとする。
バルコニー形式で外周に沿うように作られた温室の第2層。
私はその手すりの部分に背中から押しつけられる。
反射的に逃げようとした右手はその外へ。
そして、その手に握られたノートは、手から滑り落ち、そろそろ炎に包まれ始めた熱帯の植物達の間へ。
私は手から何かが失われたことに、女の子はノートが目の前から失われたことに。一瞬だけ、凍り付く。
ノートは、対流する空気の中で羽を広げるかのように広がりながら落ちていった。
白い紙が、輝いているようにすら見えた。
女の子の反応は早かった。すぐに階段へ向けて走りだす。
まずジョイがそれを追い、あわてて私もそれを追う。
今度は本当に止めないとまずいことになる。
その時、ポケットに入れていたPHSが震えた。
この忙しいときになんだろう、と取り出した電話の液晶画面には「シイコ」の文字があった。
「今ね、熱帯温室の前まで来たとこ。入り口の辺りはなんか大変なことになってるから、2階に梯子かけるから。ガラスも丁度割れてるみたいだし」
電波の良くないときのケータイらしい、ノイズを多く含んだ声が聞こえた。
私は状況を秤に掛ける。
「詩子、今、一人?」
連れが二人、という意外な答えに私はきびすを返す。
助けを求めるべきだと思った。
私のために。
彼女のために。
心のどこかに引っかかっているもののために。
つづく
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