_ そのことに関して言えば、僕は傍観者でいた。僕はあなたを好きになったし、その後もそれを断念したつもりはないし、今だってそうだ。僕以外の2人の関係が変わっていくとき、最初に立ち会ったもう一人として、傍観者のままでいいから、ずっとそこで見ていたいと感じた。
_ だから、僕にとってあなたとの関わりは常に3人での関わりだった。2度目に会った日、イチゴを貰った日、3人で歩いたあの道を覚えている。そして、その日、僕らの役割が決まった。
_ 僕は傍らで2人を見る。あなたが変わっていくのを、僕じゃないもう一人が変わっていくのを、互いに互いを変容させていく様を、変わらない僕は見た。僕にとって大切なものは、この事に限らなくたって、いつも手に入らないものとしてあったから、別に構わない。ただ、そういうものがあると知ってさえいれば。
_ だから、僕は何を失ったのかわからないでいる。
_ 僕は何をもらっていたのだろう。そして、その中のどこが失われて、どこがまだ残っているのだろう。
_ 僕は傍観者だから。頼まれれば動く程度の、自分からは動かない、意志を捨てた存在だから。ただ外の何かを崇めるだけの存在。そんな、自由を希む自由も捨てた僕は、あなたには届かない。
_ それでも僕は自分の役割をやめるつもりはない。僕は過去を記憶するために生きる。僕が見たことを忘れない。感じたことを手放さない。
_ 2002年3月24日。あの日3人で歩いた道を忘れない。
_ 大衆の右傾化は、もはやその現象自体は否定できないのだけど、これに対してどういう態度をとるべきかは決めかねる。上品に無視して、left-liberal程度の論壇で活動するというある種典型的な態度は、しかし世界に対してさっぱり影響力を持たない。かといって、まともに相手をするのもわずらわしい、というかばかばかしい。
_ そんな情勢。
_ あるいは、哲学なのか文学なのかという話について言えば、いわゆる「戦後」の論壇において若い層に支持されたのは、柄谷のような「文芸評論家」であって「哲学者」ではなかった。そして、例えば柄谷においては、その論はそれ自体いかに魅力的であったとしても、引いてくる「哲学者」の文章の理解という点では、正統的ではなかったという点は指摘しておくべきであろう。
_ これは、大塚という文学畑出身者と東という哲学畑の出身者の間での、微妙な差異にも通ずるかもしれない。
_ 「我々はいかに生きるべきか」といった問題を考えるにあたっての問題は、生きることの目的というかゴールが見えないままにそれを考えるのはすごく難しいって事だ。つまり、倫理学も哲学もそれ自身が目標ではなくて、何らかの外部の目標への手がかりとしての体系な訳で。
_ その外部の目標がないというのがこの「暗い時代」の特徴ではあるものの、だからといって共産主義国家のポスターのような「明るい目標」を掲げている社会もさほど健全とは思えず。
_ 生きることそのものが目標だという人もいるかもしれないけど、僕らの周囲ではただ生きるだけならすごく簡単で、しかもそれはほとんど誰もが享受できるものとして、存在している。例えば僕においては、CDという「不治の病」に対しても、「お金は国が出してくれる」という事実がある。
_ このシステムの中に組み込まれてしまうと、生きるということは僕らが選び取った目標ではなくて、単なる当然の事実として与えられたものに成り下がってしまう。もちろん、その中で生きることを肯定していけば勝ちなのだけど。勝たなくてもとりあえずいいかぁという気分の中に散逸してしまうのが、情けなくも否定できなかったり。
_ そんなことを思った。どっかで聞いたような話ではあるのだけれど。
_ 良い感じだね。記憶とかその辺のについては、大昔に書いたこの辺かなと思った。
_ ネタ的というかコメディ的な部分の強さと、本編部分のストーリーの絡まり具合が良い。アトムとか。
_ 不満な所しては、どっかで見たような景色の感覚があるんだけど、実は微妙にちぐはぐになっていて、土地的というか背景の部分というかが弱かったと思う。結果、神奈川という設定とロケを行った各地との微妙な違いがちょっと気になった。もっと実在する街べったりでも良かったんじゃないかという気分。冬とか桜とか海とか、確かに個別のシーンの選択はいいんだけど、欲張りすぎ?
_ あとは、結局私は支配したがるタイプの女の子が好きなんだなぁとか。そんな感じで。
_ あったかいね。
_ ダウンした同僚の代理で秋葉原。kaoriのCPUを2.8Eにする陰謀とかもあったのだが、とりあえず我慢しておくか。
_ さっくり作業が終わったし、昼休み抜きだったしなので、タムタム、アソビット、デパートの鉄道模型を見て回る。アソビットの特価品にある「ED75 JR貨物試験色」他のセットは元の値段を考えると安いんだが、それでも20k以上するってのはさすがに。キハ120関西線色とかが微妙にそそられたが、我慢。
_ WINSが立っている環境で、wins server を指定しない samba があると不幸になる。のは当然の帰結として、例えば dhcpc が得た wins server の情報を samba に反映させるような方法があると多少は幸せなのかな。
_ 帰り。結局、我慢するのを我慢しました。写真。アソビットで買ったら、週末福引券とか1万円以上1000円引き券とか貰った。
_ 父親と横浜で「王の帰還」。客先から催促の電話が入っていたりしつつ、映画後は地図などを巡回。
_ んで。散財。IO-DATA「GV-D1VR」、ONKYO「SE-U55」、SCEI「PS2用D1ケーブル」、SQUARE ENIX「スターオーシャン3 ディレクターズカット」。
_ 帰宅後、ごそごそとセットアップ。結線と設定。
_ で、PS2に適当なソフトを入れて起動。
_ ……D1キター。ついでに音も光デジタルキター。AIW RADEONにビデオ入力してたのとは次元が違います。ドット単位で見えてる気配がします。
_ つーわけで、長年お世話になったYMF724+AIWシリーズも終了。地上波はガリレオからSで入力して見る事にする。
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