_ Airは18日の週にプレイすることになる模様。
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土曜日、飲み会の集合時間(2200)前に、喜久屋で新刊を購入して、
例によってのドトールにて読書。
須賀しのぶ「天翔けるバカ We Are The Champions」集英社コバルト
上遠野浩平「ぼくらは虚空に夢を視る」徳間デュアル
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「天バカ」は前作引き続いてのバカっぷりと、戦争物の面目躍如と言った所か。
解ってる人間が解って書いている作品の価値という点では、非常に同人的。
くわね氏はこれの用語辞典を作りたがっているのだが、時間が間に合うかなぁ。
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んで。
上遠野の作品は始めて読むのだが、こっちもまた別の意味でだけど、
解って書いているという印象。別名、確信犯。
壮大なはったり。
莫大な情報を背景に持ちながら、それを殆ど説明しないで、シンプルに済ませてしまうのは
そのような情報が必要ないからなのだろう。
この点はフォークソングとつき合わせて検討できるかも。
背景となる情報量はともかく、必要な部分のみを必要なだけ提示する所での狙いは多分一緒。
作者の書きたい事や、読者の読みたい事とは別に、作品には相応の分ってもんがあって、
そこを外してしまった作品は萌えげー(小説、etc)には成り得ても、良い作品には成り得ないのだと思う
萌えを萌えとして狙って作れば、萌えと良い作品は両立できるのだけれども。
_ 雪駄さん、今木さん、しのぶさん、でマルチ関連の話が出ている模様(今木さんは佐祐理さん話)。
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マルチってのは、ホンダのP3が進化したようなものなわけで、実現が可能なところが
却って問題なんだけど……(琴音ちゃんや先輩との違い)
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それはさておき。
HMやメイドロボという目的をもって生まれてきたはずなのに、マルチはその目的を一見すると達成できてない。
掃除は出来るとしても、ミート煎餅な上に歩けばこけるし、過負荷入力でフリーズしてしまう。
そういった所から、目的論からの自由という印象が生まれて、人間らしい存在のように思える。
んで、最後に「妹たちのために」研究所に帰っていくマルチ。
もし、マルチが人間だったら、世界の必然性を自ら受け入れて、真の自由を獲得した、とでも称揚するのだろう。
でも、マルチは人間じゃない。
マルチがミスを連発するのも、研究所に帰っていくのも、全て実地体験による学習と、
その結果の回収という仕組まれたシナリオでしかない事を、プレイヤーたちは気付いてしまう。
長瀬=馬面=開発主任の「ロボットに心があった方が……」なる発言は笑止でしかない。
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もっとも。
マルチが人間でないのと同様の意味で、人間も人間でないのかも、なのだが。
むしろ、「人間に心があった方が……」という問いなのかもしれない。
_ 青空のサントラが再版されるみたいです(参照:TOPCAT)
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イメージの錯綜。
リヴァイアスを見終わって、この頃の話を思い出したりとか。
谷山浩子の「銀河通信」(*1)や谷村有美の「with II」を聞いてみたりとか。
最近のマルチの話に、さっきまで見てたProject Xが加わって、某企画を思い出してみたりとか。
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リヴァイアス。
過去は消せない、断ち切るのだ。
それは一つの戦略ではあると思う。
ただし、それをやるなら徹底的にやらねばならぬ。ファイナはそこが欠けていた。
もう一つの戦略は、再びリヴァイアスに乗る事、天王星系ティタニアに行く事。
過去と現在をフェアに評価して、未来をつくる事。
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フェアな評価ってのの指針とかは全くないのだが……
とりあえず、ファイナは失敗してて、後の人々はその指針を試行錯誤したのかなぁ、とか。
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「死にたくないの。生きていたいの」って言葉を語るのが、禁忌のように思えてしまう社会もね。
その言葉を叫んでも大丈夫な社会がどれほどあった事か。
社会が大丈夫じゃない時ならいくらでも叫べたのだが、そうじゃなければ発言者が大丈夫じゃないとみなされてしまう。
平和な時には自明なんだろうけど、自明だから言うまでもないんだろうけど。
「明日が来る」のと「明日を待つ」や「明日を呼ぶ」のは別だから。
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雪駄さんのを受けて、マルチ話の続きをしたかったんだけど。
時間がないんで、明日にでも。
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*1:NHK-FMのラジオドラマ「青春アドベンチャー(月〜金/2245〜2300/1745〜1800)」の名作「悲しみの時計少女」のメインテーマ曲。
旧部室の真空管アンプで先輩や後輩や友人たちと聞いたのは、もう6年も前のこと。
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父親が来たので松島と作並。
作並温泉に宿泊中。
_ んで、明日と書いていながら書いてないしってんで、簡単ながらマルチについて
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「鶴の恩返し(*1)」という物語がある。
恩をかけられた人間の元に、鶴が人間の姿をして現れて恩返しをするが、正体を知られて別離という物語。
この物語とマルチ(と真琴)のシナリオは類似していると言えよう。
今回指摘したい類似点は、恩返しという点と正体を知られて別離という点。
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マルチの場合、恩返しをしている期間は鶴や真琴に比べて短い。
たった一晩。
だが、その一晩は鶴や狐が人間になったように、マルチは「みんなのための」機械ではなくて、
「たった一人のご主人様のための」機械であろうとした。
だが、その期間は鶴でも狐でも機械でも、まさしく一瞬の煌きであった。
ここでマルチは、鶴や真琴の場合とは異なる行動をとる。
恩返しは恩返しであるのだが、その際に人間ではなく機械であろうとした。
人間としてのマルチという見地を与えることの出来るようなシナリオ展開ではあるのだが、
マルチの発言を見る限りでは、やはり「みんなのための」でなく「一人のための」機械であろうとしたと考えられる。
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そして、その一瞬の煌きの終焉には、正体の暴露とそれによる別離が現れる。
正体を知られて、という局面でもマルチは他の二つの物語とは異なる展開を示す。
たとえば、真琴はともかくとして、鶴の場合では、
「正体を知られなければいつまでもあなたの側に」という発言がありえる。
マルチでも研究所に帰らないという選択肢はありえたのではないか。
でも、マルチは自ら「みんなのための」機械という正体を明かし、研究所に帰っていく。
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マルチは心がある。マルチは機械である。
この二つの条件の帰結として、マルチの物語はある。
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*1:グリーンウッド風に言う所の○鶴。
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MOON.→ONE→Kanon→Airと展開して来た現Keyスタッフの作品の流れが
雫→痕→To Heart→White AlbumのLeaf伊丹スタッフの作品の流れに類似して見えてきた。
内容的な部分とファンの反応の部分の両面で。
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Air
SUMMER及びAir、読了。
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SUMMER
時代考証とかゲーム全体の位置とかに目をつぶって
単体で見れば、悪くはないのだが。
その辺に目をつぶったら存在意義がほとんど残らないのと、
「悪くはない」では許されないKeyの立場があるので。
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Air
知る限りの諸作品・諸シナリオの中で最高の出来。
背景、視点、演出、スクリプト。
これらのコンビネーションが最高。
_ んで、雑感。
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してはいけないとは知りつつも、ONEやKanonと対置したくなる。
例えば、Air篇はONEの由起子さんシナリオに見える瞬間があって。
晴子さんが由紀子さん。観鈴ちんが浩平。そらが長森。
#そらはみずかでも良いかも。
_ DREAM/美凪のみちるは、みさおであり一弥であり、何よりもあゆ。
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ゴールに辿り着いた時の観鈴がラインハルト(田中芳樹/銀河英雄伝説)
がゴールを見つけてしまった時と重なってみたりもして
すると、ラストシーンの2人はアレクとフェリクスなのか……
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DREAM/美凪は雪駄さんがネタばれ掲示板で書いてた通りで
ONEやKanonで僕らが考察を続けて、辿り着いた所そのままで、解りやすかったのではあるが。
Air全体が、美凪の場合ほどあからさまではないとしても、その方向性で理解できるってのもあるけど。
同人でも考察でも評論でもないはずの場で、そこまでやられてもね。
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同人と言えば、Airは同人的な部分をこれ以外にも含んでいる気がします
例えば、SUMMER篇なんかは今までSSによって受け手側が補完して来た部分で
それをオフィシャルに準備してしまう辺りが、微妙に違和感を感じます
DREAM(観鈴)→SUMMER→Airの流れの中で、ちょっと冗長すぎる印象も。
真琴が消えた後、いったん美汐の話をはさんでから、あのエンディングを見るような
と言ったら大袈裟ではあるけれども。
_ Air
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ともかくも、Airというゲームが見せてくれるのは、美しいのです。
その美しさで僕は十分ですが。
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さて、
以前にAirの海についてちょっと書いたけど
実際にやってみると、確かに現実離れしてるんだけど、使い方は上手だった。
武田商店(どろり濃厚の自販機がある店)と砂浜の間にある防潮提が、特に。
海はすぐそこにあるのに、防潮提に遮られて見えない。
同時に、その防潮提の上は海とも町とも異なる場所。
人と人が出会う場所。世界を見通せる場所。
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シナリオ中で海が描かれたCGを使うシーンが少ないのも注目。
バス停とAir辺の最後ぐらい?
登場人物たちが空ばかり見ているからなんだろうが
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Air篇の最後で波打ち際を歩くシーンが2度出てくるのも、多分重要。
海が何を象徴してるのかは今ひとつ良く解らないのだけど
常套手段では生命なのだが、別に生命の話をしてるわけでもなし
「つながり」の象徴か、砂浜と対になって「生と死」か。
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テーマは家族愛ってことになってるらしいんだけど
私としては「つながり」ってことで。
観鈴が失敗したのは別に家族相手だけでもないし
翼人と人間とで千の夏を積み重ねるような規模の物語が
家族ってのも比喩的に過ぎるだろうし
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Airが使ったゲーム特有の表現って、
「フロレアール〜すきすきだいすき〜」でも使われてたことを思い出す。
18禁の方向性は全く違うけど、世界の雰囲気とか、この2作は似てると思う。
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んで。
ラストシーンの波打ち際の二人は転生ではない、と言ったらダメでしょうか。
少なくとも、誰か特定の登場人物の転生ではないと思うのです。
いや、別にそれでも構わないのですが、特定の前世とは関係ない、と言うべきか。
彼らが背負う歴史は、繰り返された夏の全てで、観鈴が見た夢のように
その中には、幸せなものも不幸なものも、全て含まれているはずで。
1001番目の夏は、1番目の夏や1000番目の夏だけを受けているわけではないはずで。
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「僕らが残したあの足跡を
いつまでも追っていた」
(Farewell song)
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Air
終わる事、そして始まる事
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Air篇をはじめとして、各篇/各シナリオは終わりと始まりを描いている。
何故、今のままではいけないのか?
今あるものを壊して、終わらせて、始めねばならないのか。
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現在形の中では不安定なもの。
友達に「なって」、友達で「ある」時の不安、発作。
他と違うことから、畏れられ、恐れられ、遠ざけられ、命を狙われる。
親であるということへの、子を失うことへの不安。
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現在形が過去形に変わろうとするとき、その不安が消滅する。
過去の物となることへの安心感か、失うことが現実となる事を知っての開き直りか
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リアルなのは、終わったものだけで、それはすごくかなしいことだけど
それでも、愛していたと誇りを持って語れるようなリアルさ、僕らの基盤
基盤がなければ、何も始める事はできない。
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1000度目の夏。
観鈴が終わらせた夏の連鎖
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そこから新たに始めることが出来る大地を確固として獲得したとき
そらは空へと飛び立った。
_ そして1001度目の夏……
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