_ 何故、君はゲームをするのか。いや、この問は適切ではない。何故、私はゲームをするのか。
_ 新たな世界を構想するとか、他者と協同するとか、過去に見た世界を再構成するとか。色々という事が出来よう。ゲームそのものの勝ち負けやシステムや制約は関係ないと主張し、ゲームを通して我等が望んでいるものこそがゲームをする理由だと。
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だが、実はそれすらも、虚偽の/偽装された目的なのだ。
目的は必ず達成されてしまう。達成に失敗したとか、永遠に達成できないとかいう事も含め、目的は必然的に「結論」を導出してしまう。
それではダメなのだ。おそらく、私が真実望んでいるのはゲームをするというただその一点だけであろうから。
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私は「過去に見た世界をもう一度」という目的を大方のところ支持している。だが、それでも「過去に見た世界を再び見ることが出来ました。」「おめでとう、それではもうゲームは十分だね」等となってはならないのだ。
この目的は偽装だ。「汝は同じ川に入る事が出来ない」。過去に見た世界と同じ世界が再び見ることが出来ようはずがない。見ることが出来たとしても、「過去と同じ」という意味付与がなされる限り、決して同じではない。
この目的は達成不可能な目的だ。達成が不可能である目的を立てる事で、真実望んでいるものを保持する事が出来る。
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一方で、この虚偽を嫌って「私はゲームが出来さえすればそれで良い」という目的を立てるとすれば、ゲームは作業へと堕してしまう。作業ではないゲームをし続けるためには、目的が必要だ。
真実望んでいる事、本当に大切な事は目的ですらない。それは、思われ/書かれ/語られた瞬間に色褪せてしまう。
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だから、27日に書いた
大切な物事は無根拠で不安定なまま、出発点に据えねばならない。
という事はより端的に表現できる。
大切な事は何でもない。
_ 語られ得ない事については、沈黙せねねばならない。(L.ウィトゲンシュタイン, 『論理哲学論考』7)
_ 確かにその通り。だが、ウィトゲンシュタインはこう書いてしまう事によって、敗北を喫する事となる。彼がすべきだったのは沈黙する事であって、「沈黙せねばならない」と語る事ではない。
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よって、依然としてこの結論が残る。
くどくど言わずに黙ってゲームをやれ。
_ ……今日も結局殆ど出来ませんでした。
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夢でまで、AIR的な世界遍歴な話を見るとは……。しかも、ちゃんと反省までしている私。3番目の世界ではまだ時間に余裕があったのに、急いで事を仕損じた、とか。
なんか、女の子と2人、世界から脱出しようとあがいてる物語が繰り返される夢だった気がするのだけど。
そこまで世界を嫌っているつもりはないのだけど。もっとも、誰かとともに世界を変えて行ければ良いと思っているのは確かではある。世界という構造様式そのものからは逃れられないのは確かである以上、「何らかの世界から逃げ出した先」がやはり世界であり、またも逃げ出すという今回の夢は、単に構造様式としての世界の内容を変革する事と同義であろうから。
自分が世界を作り出してしまう事と、他人が作り出した世界を自分に押し付けてくる事。この2点から逃れるのは不可能であろう、とか。
_ フォークソング(REWNOSS)を少しずつやり直していたり。プレイ中、突如、IRCで叫んだりなぞするものだから。某方面からちょっぴり圧力がかかってみたりとか。
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シナリオの内容的にはすごく地に足のついた物語だと思います。身近な。シナリオライター曰く「感動ではなくて、共感を」というのが実感できる感じで。
3本あるシナリオの内、1本を読みとおすのにかかる時間はせいぜい1時間ぐらい。かなりきつい条件分岐の存在に対して、この長さはバランスが取れているかと。その分、色々な可能性を探る事もできる。また、3本のシナリオは同時点からスタートするものの、それぞれのシナリオの在り様によって、エンディングの物語内時間が異なって来るので、「長い」シナリオでの別シナリオの「その後」的エピソードとかも魅力。
こういう可能性もありうるし、別の可能性もありうる。そうした諸々の可能性を等価のものとして語っている誠実さ。こうした所は、PLがシナリオに対して共感できる一つの要因かとも思われる。こんなに上手くは行かないよ、という心情をちゃんと救い出せるところ。
あと、プレイ後にはオフィシャルにあるSSと小説版も必読。
_ と、こんな感じでよろしいでしょうか。
_ 久しぶりに尚古堂へ。
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「FreeBSD(98) 徹底入門」(翔泳社, 1997)
藤島康介「ああっ女神さまっ 小っちゃいってことは便利だねっ」(講談社, 1996)
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486Pを現役復帰させて、FreeBSD4.2(98)をインストールしてみる。常時接続環境&ダイアルアップルーターだと、特に何も考えずにFTPインストールできるのが便利である。時間的にはかなりかかる事になるけど。
んで、常時稼動4台目になる486Pの騒音がまったく気にならない辺りが、なんだかなぁ。まぁ、以前よりかは安定した共振の起きにくい場所にあるんで、そうなのかもしれないけど。
というわけで。来週、私の部屋に来る予定の人はそれなりに御覚悟を。
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バイトで担当してる仕事が佳境で、面白かったり、大変だったり。
税金泥棒にならないよう、注意せねば。
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くわね氏に教えてもらって、浜崎あゆみ「evolution」を聴く、聴く、聴く。すごい勢いで、GPM。あるいはAIR。
「だけど」から「だから」への転化。
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いつものようにMOSに行ったら、「3/12はMOSの日です」とかでケナフの栽培セットを貰う。どうせ室内で栽培するのだし、「発芽適温は20〜25度」ってことはもう植えても大丈夫か?
MOSと言えば、こちらなんだけど(これが本題)。
新聞置いてるって珍しい? いつもの店こと仙台定禅寺通店は新聞完備で朝読み損ねた時とかは重宝してる。あと、この店定禅寺通と晩翠通の角にあって、道路側が全面窓ガラス。晴れた日とか非常に心地よいのです。
ちなみに仙台メディアテークの近所だったり
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Wayneさんの3/12。
「良い纏め役」というよりは「声のでかい仕切屋」なんですが。そんなのでも、居ないと話が進まないのは確かではあります。誰よりも早く忍耐が切れるというか。他人に任せるよりも自分でやった方が早いとかの傲慢さも含みつつ。
昨日、もり氏との夕食会の席でも出たけど、某高校の出身者って、そういうタイプ多いと思う。無駄なほどに高いプライドとか、他人に自分と同程度である事を要求する無神経さとか。
だから逆に身内のみの場合には却って動きが遅くなったりもする。
_ そういえば、夕食会の後のゲーセン行ったら、50.784secがでちゃった……どうしよう。
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しのぶさんの「AIR 美凪シナリオに関しての、私的解答」を読む。
私は基本的に美凪(シナリオ)はONEやKanonで語られた/示された事の再構成だと思っていて、それは今でも確かだとは思うのだけど。だからといって思考の対象から外れていたのは、良くなかったか。
ともあれ。同意。
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Sueさん(Sue嬢の方が通りが良い?)の3/13
そういえば、他の店では新聞見ないですね。ちなみに図書館みたいな閉じ方ではなくて、ホチキスで止めた新聞が4つ折になって、マガジンラックみたいなところに置いてあります。
最近、仙台はMOSが増えてて、駅前(ロイヤルの向かい)と中央通(Dreamの向かい)にできてる模様。
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くわね氏の3/13
というか。あの高校、基本的に芝村養成所のような気もする。倫理の時間とかに繰り返される例のモットー(?)だって、ひどく芝村的傲慢さに満ちているし。極論を言ってしまえば、自分が全然ダメダメでも、それでも他人の為にとも取れなくもない。
血では増えないところとかも。もっとも、生徒に関しては血で増えてる部分が微妙にあるけど。
_ 土曜日、生協に出て本を物色。
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S.トゥールミン A.ジャニク「ウィトゲンシュタインのウィーン」(平凡社ライブラリー)
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北伐のOFFレポ書かずに、「吸血殲鬼 VJEDOGONIA (NITRO+)」をやる。
モーラが可愛いとか、猫耳ヘッドセットは必須オプションだとか、そう言う話はともかく。
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吸血鬼となったとしても、それは依然として人間的限界の拡張に過ぎないのであって、神となるわけではない。もちろん、ここでの神は中世期以降のキリスト教神学/西洋哲学での神概念だけど。時間性/空間性を超越する神はいかなる時/場所においても遍在(omni-presence)するのであって、時/場所を問わずどのような事象にも等しくアクセスできる。
だが、定命の肉体という人間の時間的制約をただ単純に拡張したに過ぎない不死者は、無限の数の「今」を生きる事ができるが、それぞれの「今」は1回きりのもので、すぐさま過去へと転化してしまう。彼等にとって、かつて希望に見えた無限の未来は、一瞬の現在の後、無限に積み重なっていく過去へと転化する。
「楽師」のように現在の享楽だけを享楽する生(?)であれば、それでも良いのかもしれないが、「騎士」にはそれが適わなかった。いや、「騎士」もまた本来は現在だけを追い求める存在だったのだ。無限の彼方の目的へと生き続ける「姫」を守り続ける事。それは決して達成されるはずもなかったのだ。だが、「姫」はとうとうゴールを見つけてしまう。
そして、彼女はこの制約から「騎士」を解放しようと願う。あなたはどこにだっていける、と。だが、600年前に彼にあった気概は既になく、失われ行く目的へと殉ずる事のみしか彼には残されていなかった。
吸血鬼となる事で人間的制約を拡張した彼等は、自由なのだ。無限ではもちろんありえないものの、有限者として最高に近い可能性を手にした彼等は、まさしく「実存は本質に先行」している。だから、どんな本質をも選び取る事ができるのだ。モーラのように、自己自身を否定するような方向性にすら。
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結局の所、吸血鬼としての生は「やりすぎ」の生なのだ。やりすぎを願うのは人としての性ではあるが……
そして、やりすぎの果てに何かが残るとか、どうとか。
_ なんだ、結局、AIRでlainでONEじゃないか(*1)
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*1:Vjedogoniaがではなくて、私が。
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午後。バイト先の新PCを買いに社長とともに東口へ。
A Open MX3S(i815 mATX)をベースにしたミニタワーベアボーンに、Celeron 800、SDRAM 256MB(PC133-CL3)、Matrox G450(DDR-32MB)、Seagate U10 20GB、Planet 9802-T、といった所。これに17インチディスプレイとWin98SE(OEM)をつけて100kを少し越える程度。
なんか、微妙にどっかで聞いた構成ではある。とりあえず、CADメインなんだからのG450と、某方面で好評のU10を入れる事が出来たので、満足風味。
保証やら、社長の足具合やらで、一店で全て調達したんで、そのまま組み上げもショップに任せて、木曜日に到着予定。その後、ローカルカスタマイズをする事になりそう。
や。ベンチマークと称してMultiSETIを非表示モードで走らせようとか考えてませんて……多分。
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何気なく新聞見てたら、NHK総合の定番番組「生きもの地球紀行」に(終)のマークが。むぅ。
ETV2000アンコール「広末涼子とソフィーの世界」とか一応というか見てたり。あの本は高校の時に読んだきりなのだけど。
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自転車のブレーキシューを交換。地獄坂を毎日使えば、半年で擦り減らすのも当然と言えば、当然か。
簡単な工具とか買ったら、なんか店で交換してもらった方が安かった気もしつつ。一応はMTBタイプな以上、それくらい自分でやらねば。薄暗くなってたので、ベランダに運び込んで、部屋の明かりも含めて作業してたら、何度も物干し竿に頭をぶつけてみたりとか。
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卒業文集のページを更新したりとか。
BS8.5に通ったらしいので、SS本が出るらしいです。いや、いつものように仕切ってるのは私なのですが。ONEに限らず、ともかくも書いてみよう! ってのがコンセプトなんだけどね。
で、何を書こうか思案中。美汐かアスカか理奈か。毎度似たようなのばかり書いてるけど。これ以外のバリエーションって見えてこないのだよなぁ……いっそ、全員<やめれ
_ どうも、こんな検索結果から9月の日記に来る人が多いらしく。確かに、「なんか書いてありそう」な検索結果。(苦笑)
_
VjedogoniaのED曲「MOON TEARS」と、谷村有美「ときめきをBelieve」(Docile Ver.)とを、交互に聞いてたりとか。Bump of Chicken「天体観測」とか、福耳「星のかけらを探しに行こう again」とかも。なんか、むちゃくちゃな選曲だな。
「星のかけら〜」は昔、NHK-BSのイメージCM(?)で使われてるのを見て、それ以来なんとなく聞いてる。CMというよりPV的な映像(フルコーラス)で、男の子2人と女の子が何やら街じゅうかけまわるっていう、この種のにはありがちな構成だったけど、好きだったなぁ。
こいうのって、NHKのしかるべき場所に行けば見れるんだろか。「どーも君」のライブラリとかみたいに。
_
どうも調子に乗れない。「鬱だ氏脳」とでも表現すべきか。
気付かないでいれば楽だった事に気付いてみたりとかもしつつ。
そうした事に気付かない方が良かったとまでは思わないけど。善悪と快不快は別で、一応これでも「知は力」とか、啓蒙とか信じてる方なので。ともあれ、気付いてしまった以上、なんかせねばダメかなぁ。何にもしなければ、「あの時既に気付いていた」と後になって主張する事も出来ないし。
_ 今日1600〜のNHK-FM「ポップスグラフティ」で、"Somewhere Over The Rainbow"と"What a wonderful World"のよさげな版を聴いたのだが、収録を聞き逃した。明日の再放送で聞き取れればよいけど。
_ TMIDIをひどく久しぶりに更新して、起動してみたら、音源設定にYMF724/744が加わってるのを発見。MARKさんの曲なぞ聞きながら、懐かしさと新鮮さと。
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絶好調に鬱モード。
木曜。一旦、受け取った他人の好意を反吐として吐き戻してみたりとか。物理的に。いつもの事ではある。
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AIRを筆頭として、病的と評される事の多いヒロインについて、そんな(病的な)のにしか萌えられないダメなオタク男共の話とか、それなりに良く聞く。
これに関して、PL(*1)が自己同一化しているのはむしろ「病的な」ヒロインの方であって、彼女らを自分たちのトラウマや物自体(Ding an sich)と同一化し、その上で、PLの理性の代理人であるPCがヒロインを受容していくとか、誰か言ってても良さそうではある。
そうしてみると、PCである浩平自体が病的な存在であったONEは特異な存在と言えるかもしれない。もっとも、浩平にしても、PLが選択肢etcでどうにかできるレベルは依然として「理性」の段階に止まっていて、一方、PLが自己同一化したがるのは浩平におけるトラウマ的/物自体的な領野だったりする。
_ ちなみにこの話、萌え話とは別なんで、そこんとこよろしく。
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*1: この場合にPLと言う語を使う事は、あまり妥当ではない気もするが、オタクと言う語を使うのもどうかと思うので、とりあえず。
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