_
GW中、帰省してました。遊び放題、無駄遣い放題。
家計簿は真っ赤。やべ。
_
4/27からフレッツADSLを導入していたりします。
収容局が青葉通局なので、さすがに速度は500〜700kbps程度しか出ないのですが。ほとんど全ての回線がISDNな賃貸マンションでは、これが速度的な限界でしょう。光が引けるわけも無いし、無線も山の上までは来るかどうか微妙です。
i81559なNICと5ポートスイッチハブとブロードバンドルーターを買ったら、かなり予算が危険風味。
_
4/29のBS8.5とその後起こった事態については、KISAさんのイベント&OFFレポなぞを参照くださいまし。
……ちくしょーめ
_
IRCでも話しましたけど、例によって議論の土台となるべき言葉の共有やそれぞれの持っている構図への理解が、今ひとつ出来てない気がするので、やるならそこからはじめるほうが良いかと思われます。
とりあえず、Whiteさんの「写像」という言葉には馴染めないのですが。
_
で。
いつも通りな私の主張を展開するならば、PLがある時・ある状況下でゲームをしていく時、そこにはその時限りのゲーム(表現/世界)が立ち現れてくるのです。その立ち現れには、PLのおかれたゲーム外の状況も影響を及ぼしますし、そうである以上、二度と同じ立ち現われが出てくることもありません。
PLがゲームに何を求めるか、PLの持つゲーム外の経験、etc...
これらの多様性をもって、無限の可能性と評する事も可能でしょう。それらの多様性の広がりをもって、自由度の尺度とすることも。
_
このレベルで議論をするのであれば、もはやゲームの内容(Whiteさんの言う「ゲーム表現」の内容)はある意味で無力なものとなってしまいます。PLの側にある多様性のほうが、ゲームの内容に可能な多様性よりも、明らかに広いからです。
この点を諒解した上で、なおもゲームの内容面で何か出来ることを探そうとしたのがGPMでありAirであったし、何か出来ているゲームが「良いゲーム」なのだろうと思います。
GPMはPLの多様性を徹底的に活かしきろうとしました。繰り返される「何でも出来る」「君は世界を救える」といった言葉が示しているように。「ゲーム表現」という言葉を借りるならば、その「ゲーム」の部分を無限に炸裂させたと言ってしまえるかも知れません。
そして逆にAirにおいて、PLは多様性を次々に奪われていきます。「ゲーム表現」から「ゲーム」が次々と削ぎ取られていくのをPLは目にします。「表現」を成立させる柱である「観察者の存在」……より端的には「観察する事」(もはやSは消滅しているも同然で、Vのみが意味を持つ)だけが屹立して残ります。
_
ああ。なんかぜんぜん違う話になってきたぞ。いつもの事とは言え。
つーか、29日〜30日にでも、OmniSight話なぞするつもりでいたんですけどねぇ……
_
家計簿が真っ赤な理由判明。
某所から支給されてる奨学金が4/5月分はまとめて5月支給なのであった。さすがに光熱費+基本食費分ぐらいにはなる額が欠ければ赤くもなるか。ちなみに、クレジットの引き落としの1日後の支給なんで、どっちにしろ間に合わない罠。この罠、3年連続ぐらいで引っかかってる気がするな。
_
http://cf.tomangan.org/。サーバー計画がほぼ完全に走り出したので、移転しています。cgi周りとかは未だ以前のままだけど。
MLとかIRCとかの設定でいろいろやる毎日なのです。
_
日曜日に仙台に戻ってきたばかりなのに、どんなに遅くとも土曜日の深夜には上京なのです。単身赴任ですかい。肉体的にも結構辛いし。精神的にも結構堪えています。
悔しいのは時間的には鈍行で上京できる感じなのに、精神的に余裕が無いんで新幹線になりそうな所。やたらとへまをかましていたり、某重大事件の余波が未だ存在したり、うっかり風邪引いてみたり。余裕のある旅をするには何よりも心に余裕が必要なのだなぁ、とか。
気力を回復し、精神的に救われる(こんな表現を使う時点で既にダメだが)方途は見えなくもないのだけど、それに向かう気力が既にない。
_
せっかく、気に留めて頂いたのに、Happy Happy * Rice Showerとか最近無力です。
元気が出てくる応援系の曲とかあるラインを超えてしまうと逆に痛くなってきたりして。KAN「愛は勝つ」なんて、すばらしく物悲しい曲に聞こえますが。や、中途半端に古い曲というのは別にして。
GPMのサントラ「幻想組曲」のtr.40「思い出になるよ」とか、最近は聞いているのですが。あと、Little WingのCDから適当に30分ぐらい抽出した奴とかも。
っと、Campanellaのアレ、買われたんですか。いいなー。私が行った時には既に試聴用しかなかったのですよ。視聴して、ひとしきり笑い&感動した後、夏に買います!と約束してその場を離れたのでした。週末、ばおーに行ってる時間は……ないなぁ。
_
あ。愚痴ったら楽になった。
……聞かされた人、ごめん。
_
授業に行ったら休講の罠。
これなら、今日の普通でも帰れたのに……とりあえず、明日0857のやまびこつばさで上京予定。某所到着は昼過ぎ頃だろうか。
体調は横ばい。某医学部生に医者行けと助言を受ける。潰瘍系の何か、らしい。月曜までに改善せねば、保健管理センターに行こう。
_
卒業文集のIRCでも激論進行中ですが、私を含めた4人がまったく別の方向をみてるような気がしていて。もっと細かい話題設定が必要な気がします。
例えば、私は「ゲームにおける世界とは何ぞや」という話題ならコミットできるのですけど。(もっと絞る必要もあるかも知れず)
_ えと。とりあえず、スタートページに入れていただけてるようで。ありがとうございます。ついでに移転告知(実質的に)までしていただいて。感謝です。(index.htmにも移転告知を出すようにしました。)
_
それで。Stand by me とか。
確かにStand by me はNGで、Make You Smile はOKな感触はあります。なんでだろう?
Stand by me は徹底的に決意表明な曲だと思います。「守ってみせるから Stand by me」とか。そこには相手の存在が希薄で、空回りしてるかもしれない。しかも未来のことを語っているので、光り輝く可能性は見えても一向に現実性との接点がなかったりとか。
(私が)鬱になっているのは、可能性の広さと現実には何もつかんでない不安なので、特にそうかも知れません。
それはともかく。Make You Smile は「君は君でいなきゃ」「最高の自分を教えてあげる」とか現在肯定的かと思います。相手の誰かのおかげで自分があるとか、一方的ではないし。私は人間一人じゃダメだって事を主張したい人なので、特にそう感じるのかもしれません。
……なんか、取り留めない話になってしまった。
_
○ついでに、明日移動中に聞く曲を選曲。
結構無茶な選曲になってしまった。
_
Card 1
堀江由衣 - I wish
丹下桜 - My wish
丹下桜 - Little Wing
GPM - 思い出になるよ
丹下桜 - Make You Smile
丹下桜 - Catch Up Dream
堀江由衣 - Happy love to you
_
Card 2
Little Wing - resurrection (かののね)
Little Wing - 虹をみた小径 (かののね)
Little Wing - あの日、見た空 (蒼天)
Little Wing - nikoensis (蒼天)
Little Wing - Remember me (CROSS)
Little Wing - 蒼天 -Reprise- (蒼天)
_
とりあえず、先日はどもでした。体調不良にて場を設定すること以上のことが出来なくてすみませんでした。
そんなこんなで、先日の対話は挑発しただけで終わったのですが。(それは対話とは呼ばないだろう……)
ともあれ返答なのです。
_
それで、つまるところ語用の問題なのです。
世界という概念について、私は決して否定的な意見を持ってはいません。ただし、哲学の文脈においての「世界」概念に対してですが。
「世界」については、認識されたものの全体をさす語として考えています。そうである以上、世界とは、その世界を認識する主体である「誰かにとっての世界」でしかありえません。客観という語でどの程度の含意があるのかは明確ではありませんが、主体の認識とは無関係な世界という事であるならば、客観世界という考えは矛盾を含み。当然ながら存在しません。
なお、複数の主体の存在を前提に、それら諸主体の認識に共通な部分ということであれば、私が考える文脈では「間主観的(inter-subjective)世界」と呼ぶべきものであり、これを客観世界と呼ぶ場合も多いように感じます。
_ さて。それはともかく。
その「石」を人間と猫に対し、平等に、感覚的に定義させる、シグナルのようなものを出している「何か」があるはずだ。
_
ここにおける「何か」は常に「あるはず」の域を出ないのです。カントにおける「物自体(Ding an sich)」の発想と同じだとは思うのですが。認識する主体にとって、まず眼前にあるのは感覚与件(sense data, =シグナル)であり、その与件を認識した後の「石」であるわけで、「何か」はその後の推論によって「存在せねばならないもの」として、半ば捏造されるものでしかありません。
そして「何か」は認識の主体によって捏造されたものであると同時に、「外的な」「主体とは無関係な」という意味付けをもって捏造されていきます。Whiteさんの言う「本来は内的なものが、外的なものとして錯覚される」とはこの事かと。
もし身体性を無視できるのであれば、脳が世界を作るときに(あるいは世界を認識する時に)自分の望むものを望めばよいのだ。
そうすれば望むものは望む形で自分の目の前に「存在」することになるのだから。
_
明らかにこれは正しいのです。感覚与件は認識の形式を規定することは出来ず、どれほど無茶な与件に対しても有効な認識形式は存在可能です。極端には、陰謀史観とか。
それゆえ、認識されたものに対して異議申し立てをするのは、同じく認識を行っている別の主体のみであるかと思います。ある認識に対して、正しい認識ではないとしたり、あるいは端的にそうした認識は不可能であるとしたりする批判は不可能で、単に別の認識の可能性を、別の世界の可能性を提示しうるのみでしょう。
_ 「写像」の多様なあり方の肝要さはこのあたりにあるかと思うのですが。(とりあえず上記の文脈では、写像=認識。)
_ 突発的にプレイ。美香なり。
_
「憶えててくれてるって知っていた。」「雨が降るって信じてた。」の強力さにくらくらする。「私の本当の気持ちを教えて」とか言ってる割に、他人のことは知ってるんだよな。
ある意味では……というより殆どの文脈では、そんなことは妄想か押し付けかなんだけど。ほんのわずかな奇跡か必然かの中では、確かにそれは正当な発言であり、信念であり。無反省な存在措定が、妥当な確定記述へと転化する。
一瞬の、夢ともつかない、その交錯が世界の全てを支え始める。たとえその前後で何らの変化が起こらなかったとしても。
_ ま。プレイした理由は「蒼天」(LittleWing)収録3作の内で未プレイだったからってのがあるのだけど。「さよならは、いえない」の原曲「ナニカ」とか。
_
綾菜はかわいいね。
なんというか。全般に、一つ一つの素材の出来が良くて、結構映えるときがあるのに、それを統合したときに冗長さと突発さが目に付いてしまう。
とりあえず、8月の日付表示絵の美香(?)の眼が良い。「深淵を見つめるとき……」ではないけれど。PCとPLの目が合う(視点が一致するではなくて)ってのは、PLの絶対性を引きずり落とすとか、何とか。
あ。奴ら(=PC)に踊らされてるってのも可能な感覚かも。無論、それを楽しむゲーム(楽しませるゲーム表現)もある。
_ とりあえず、私の回答で論議が打ち止めになりそうなのは答えておきます。(喧嘩腰に挑発する部分は後回しにします。)
_
論敵設定の意義
第一印象の悪さ、というのはあるかと思います。そんなことで因縁吹っかけられちゃたまらんでしょうが。議論の始まりはそんな所でも、「解ってない」相手を説得しようと色々頑張るというのは、その人の論を纏め上げ、整理し、引き上げるのに有効だというのもありまして、議論が空虚でも、無益とまでは行かないかな。
唯脳論についての見解は承知しました。とりあえず、私の第一印象は(例によって)誤解であったというべきでしょう。
さて、科学主体の社会に喧嘩を売れというのは、まことに尤もでして、哲学屋さんの36%(推定)ぐらいはその仕事に(も)自らを置いてるかもしれません。なお、問題なのは社会が科学中心なのではなくて、その事を社会のメンバーが自覚していない点だとは思います。厳密な意味での「(自然)科学」は明らかに中心に「ない」ので。
_
きれいさっぱり、記憶から抜け落ちていたのですが、こんなのを去年の前期終わりに書いてまして。なんか、今言ってる事と食い違う気配を漂わせてます。
客観世界や「身体性」(私の語法ではこれを身体性とは呼ばないので括弧付にて留保)がらみの話は、唯脳論話とは微妙に切り離して議論が出来そうな印象を持っていますんで、それについては後日コメントつけるつもりでいます。迷惑でなければ、もう少しお付き合いください。
_
某クレジット会社から、突如新カードが送られてくる。
ICカードらしい。生協のプリペイド機能がついたとか何とか。カード人生まっしぐらな身としては、使わんと思うのだけど。以前のを裁断処理した上で、カード会社に返送しないといけないのが面倒といえば、面倒なり。
_
朝寝。起きたら10時ちょい前也。1030から授業だったので適当に支度して出席。
昼。いったん、部屋に戻って昼飯食いながら、雪駄さんに送る荷物の準備なぞ。NHK-FMで90年代ポップスがかなり延々とかかってたのを聴いたりとか。ZARD「負けないで」とか、スピッツ「チェリー」とか。懐かしいね。
_
4限。近代哲学の授業中、授業に関係あるんだかないんだかを延々と考えて、はまり込んでみる。カントと(前期)ウィトゲンシュタインの重なる所、重ならない所、とか。
で、微妙に鬱になりつつ(鬱になりそうなことも考えていた)、ふらふらと街を歩いて。なんとなく入った模型屋でMärklinの2000/2001年カタログを入手。その後も、鬱っぽいこと考えたり、なにやらして、帰宅。
_
で、問題のカタログをぼけっと見てたりとかしてる内に鬱っぽい気分もなんとなく晴れる。つまるところ、その程度のものだったわけだ。
もっとも。模型のカタログってのはひどく魅力に満ち溢れた存在なので。小学生の頃とか、よく病気になるとTOMIXのカタログとか、延々と眺めていたなぁ。
_ とりあえず、ノーマルエンドを見ただけだけど。
_ IRCにてやまさんと、アンタレスはうまいね、とか話す。少なくとも、1000th Summerよりは。
_
そういえば、エマノン話とか、ヴェドゴニアも。
少なくとも、こんな時代になってしまえば、かのようなストーリー/キャラクターに僕等が魅力を感じるのは、僕等が死すべきものだからではなくて、そう簡単には死なない存在だからではないか。
何かを成し遂げて死ぬ。そんな時代ではなくなってしまっていて。端的には「定年後の人生」とか。いつまで経っても、僕らは生から逃れられない。「神によって生かされている」とか、そんなものは単に呪いに過ぎない。
どんな生でも死よりかはマシだ。生きたくても生きられない人がいる。という誤謬推理。
生きることは目的でもなんでもない。せいぜい手段でしかなく、多くの場合では単なる付帯結果だ。たとえ戦争のような状況下でも。戦争を生き残る目的は、生そのものではないだろう。
生きる意味なんかない。生きることによって成し遂げられることはあるけれども。
_ だから、永遠という事で僕等が信じ、依拠し、頼りにできるのは、未来方向への永遠ではなくて、過去の何かの結果としての永遠なのだ。未来の永遠は(もしそれがあるとすれば)単に純粋な生そのもの、透明でつかみ所のない恐ろしいまでの虚無でしかない。過去の永遠こそが……。手垢にまみれた、行動の結果としての、思い出という形を取った生が。
えいえんはあるよ、ここにあるよ。
_ 鬱だとか愚痴を言って、アホみたいに絶望してた私は、この言葉を忘れていた。
_ 軽く、レポ。
_
午前2時ごろ。そろそろ寝るか、と思って日記を書いていた所、突如、サーバー機の美汐が落ちる。リブートすると……ブルーパニック。再インストール攻撃なり。w2kをまっさらな状態で入れなおして、ついでにSP2を当てて、Apache (win32)を1.3.20にしてみたり。データが吹っ飛んだわけではないので、手間かければ復帰するのだけど。
5時過ぎにようやく復帰。日記を書き上げてアップするものの、既に寝れば絶対9時には起きられない時間。しょうがないので、WEBの巡回とか借りてた小説なぞ読みながら待機モード。
起きてきたとくそんさんとIRCで話したり、朝からスパ2人前@ほうれん草とベーコンのトマトソース(半自作)を食ったり。風呂入ったりして、10時過ぎに出撃。バスで1本というのは快適。いつもはそこ(仙台駅)からさらに新幹線だからなぁ。
AERの1階で微妙に迷ってみたりしつつ、1040頃会場着。会場前の市のフリースペースに10人ちょっとぐらいの一般と思しき人もいるが、別段列などもなし。サークル入場証をオリジナルメイドのコスプレなスタッフ女性に渡して、お隣さんに挨拶して、設営。
……机1本と椅子2脚。広いなぁ。持ってきた本をめいっぱい広げて、椅子一つを荷物置きにして、さらに余る勘定。昨日のTo Heart on PVNS/PVNVをしたりして、開場待ち。
_
1130開場。
最初1時間ぐらい、結構人がいらっしゃって、予想以上に売れる。某PX本は40分ぐらいで売り切れただろうか。もっとも8冊(うち1冊取り置き)しか持ち込まなかったのだけど。1230頃買いに来られてすでに売切れだった方には、申し訳なかったです。多分また増刷するでしょう。
13時を過ぎると人が少なくなって、サークルもスタッフも近くの人と話したりして、すっかり交流会モード。お客さんと話したり、本読んだりしながら、ちょっと早めの1530に撤退。
_
撤退後、駅のバス停に行って、時刻表を見ると理学部通るバスがちょうど3分前に行ったところだった罠。しかも次は1時間後。しょうがないので、駅前のPRONTで昼食抜いた分としてペペロンチーノを食って、青葉通のDOOTORで夜食を買って、ふらふらと歩いて帰る。重い本(=ONE卒業文集)が殆ど売れてしまったので荷物軽かったのが救いか。
17時過ぎに帰宅。IRCで簡単な報告して、寝。
……NスペのSETIの回を見逃す。
_
以下、色々と雑感。
今日の最長不倒。関東から卒業文集+SS文集を買いに来られた方。事前にメールで在庫等相談あったものの、本当に来られるとは思わなかったっす。「3時間かけてきた馬鹿です」と挨拶されたものの、似たような事は自分もやってるし。東北新幹線、水田が広がっていてたりで、きれいですよねぇ、とか話す。考察頑張ってくださいとも言われて、喜。頑張ります&ありがとうございました。
13時過ぎにPX本を取りに来たさとうさんと30分ほど雑談。大学の話とか、PC話とか、色々と。
14時過ぎ。会場にかかってる曲がLeaf Vocal Collection Vol.1だったり、紅茶が無料でサービスされてたり、机は広かったり、お客さんは殆ど来なかったりで、本を広げてすっかり喫茶店モード。んで、読んでた本が某L.Wネタだったのにお客さんに気付かれて、20分ほど雑談。終ノ空とかフロレアールとか。卒業文集、SS文集、残余をお買い上げていただいたり、ありがとうございました。また機会があれば。
_ 書類不備落ち……ごめん。
_
日記の所在DIR・ファイル名・日付別アンカーの命名法が変わります。http://cf.tomangan.org/diary/YYYYMM.html#DD になります。また、http://cf.tomangan.org/diary/ で直近5日分が、http://cf.tomangan.org/diary/topics.html でトピック一覧が取れます。
旧来の命名方式によるものも5月中は準備しますが、6月以降は更新されません。So-net鯖の日記帳も6月以降は更新されません。
_
在庫処分大幅値下げとかで、2,800円。通販申込をしてみるの事。
評価もちゃんと出てるやつだし。X・Palm・Zaurus・モバギ版をオフィシャルで公開許可出してる辺りも好印象なり。
_
未来の可能性を信じられない、というのは多少極端かもしれませんが。
別段信じていないわけではないかと思うのです。むしろ、それに怯えているわけで。ある意味、誰よりも強く信じているでしょう。可能性は所詮可能性に過ぎないということを。
_ いや、それでも可能性を現実へと収束させていく事なしには、その結果としての現在と過去は無価値で無意味な代物へと堕してしまう事は承知していますが。そのような代物ではない何かとして、過去と現在を救い上げることが、そもそもの眼目ではありましたし。
_ 要は、可能性の中から、たった一つしか選べないことが私にとっては問題なので。それらの内容が好ましいかどうかはあまり問題ではないのです。
_
日本人の勤めとて代表戦だけは見るのである。F.マリノスとベガルタは応援していると言いつつTV観戦も殆どしない。
で。川口なのだ。攻められてピンチが多い試合で彼が輝くのは、彼が危機対処能力に優れた選手なのか、単に頭の足りなさを脊髄反射で稼いでるのか。
_
手元にあったAVG32系ソフトを片端からコンバートしてみる。Sense Off - 18MB、AIR - 42MB、Kanon(全年齢版) - 37MB。これはZaurus版と同じだけどね。
んで、GFORT(MIPS系)のCF上にデータを置いて……走らない。セーブファイルがひらけねーぞ。とか言う趣旨のエラーメッセージが出てる模様。
Comment