_ 例によって衝動的に購入。フレッツADSL+DCモデム接続という無謀に挑戦。
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ハードの物理的接続と割り振ったIPは以下のような感じ。
DC (modem 192.168.0.129) -- TA (MN128 miniS) -- (modem DFML-560E 192.168.0.128) W2k PC (NIC i82559 192.168.0.2) -- HUB -- (NIC i82559 192.168.0.1) W2k PC (PPPoE over NIC VT86C100A グローバルIPアドレス) -- ADSL modem
_ DC -- MN128 miniS -- DFML-560EはTAの内線機能を使用して接続。MN128 miniSでは内線発呼が2つのどちらのポートからも「*0」であることに注意。*[ポート番号]というのが一般的なので。
_ RASサーバ設定するPCでの注意点。特にないが、RASのサーバー側とクライアント側で2つのIPを使う所が注意点か。
_ グローバルとのルーターとなるPCでの注意点。使っているのは、ICS(インターネット接続共有)、RASPPPOE(PPPoEクライアント)。ICSの設定は普通。グローバルに露出することになるのでファイアウォール等の設定は厳重に。RASPPPOEの設定では、MTU値を1452(NTT東日本推奨値)や1440(SonicTeamが例として提示)など、1492以下でPSOが安定して走る最大の値にoverrideすること。
_ 当然、RASサーバーのPCとICS+PPPoEなPCは同じでも大丈夫。
_ 参考リンク
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PPPoE / MTU
http://www.zdnet.co.jp/news/0103/23/adsl_honda_m.html ZDNN:わが家のブロードバンド化計画(3)──MTUのその後とインターネット接続の共有(1/2)
http://user.cs.tu-berlin.de/~normanb/ RASPPPOE
http://key.unixmagic.org/cmptr/freebsd/pppoe.html PPPoE with FreeBSD
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PSO
http://pso.dricas.ne.jp/bbs/p/pso/636/vefwgz/wdfxwf.html ▲通信関連の情報リンク&ワンポイント▲ TATSU@寝不足モード43% 2001/05/24 00:57:44 @PSO公式掲示板 googleキャッシュ
http://homepage1.nifty.com/gui/pso/ PSOしろっ! 〜 PSO-W 〜
_ 開始2日目。ようやっと安定したのでjesさん雪駄さんに引率してもらって、PSOn。PSOffでLv6まで上げておいたのだが。森x2、坑道、遺跡をボス戦まで連れてってもらってLv15。っていうかラスボス倒してるし。0時から初めて、終わったのが6時過ぎ。職場に出勤してきた(!)すずめつめさんと雪駄さんとでテレホ終わりまでIRCしつつ、朝飯。用事を片付けて9時ごろ沈没14時に起床して授業へ。ダメ人間だなぁ。
_ 青い髪&衣装のFOmarlを使っているのだけど、雪駄さんに「任意っぽいね」とか。jesさんから譲ってもらった「秋子おばさんのフライパン」装備してたりして、さり気にネタ狙いみたいになってるな。
_ 昨日書いた設定を元にMTU値をoverrideしないブロードバンドルータでもPSOnれる用に思案。RAS部でoverrideすればいいのかなーと、Dr.TCPを使って、RASサーバのLAN側NICのMTUを1440、「Black Hole Detection」をyesにしてみるが、うまくいかず。
_ 他に思いついたのは、VMwareにFreeBSDを入れてこれをRASにして色々設定、LANをルータのNATでぶら下げた上でRASサーバでもう1段NATをかませてRASクライアントをぶら下げる、LAN内にPPPoEを掘ってDC関連のパケットを通す。あー、いかにもad hocな対処法。みんなが行儀よくやってればこんな苦労もないんだがなぁ。
やっぱり,痛みってのは他人には分からないもんだ.というより,その痛みを感じていたのが過去の自分であったとしてもそんなものは分からない.あの時の痛みはどれだけだったとか言えるはずも無く,例えば頭痛なら頭痛で,もう一度風邪でもひいて頭痛に苛まれなきゃわからんってことだ.痛みを思い出したとか表現したらそら,要は今その痛みを感じてるって事だろう.……(中略)…….痛みってのは思い出せなくて,いや,思い出す必要が無い.なるほど,でも痛覚ってのは実際,何のためにあるんだろうな.
_ えー。こんな所で突如我が卒論テーマが出てくるとは思わんかったのですが。出て来たからには仕方がないので反応。ただし、ごく簡潔に。……詳細にやるとボロが出るから。
_ 自然的な印象としては、(私が今)痛みを感じるという事と、他人(過去の私も含む)が痛みを感じるという事には差異があるように思えます。何故そう思えるのかというと、他人が痛みを感じるという事態は、その他人が何らかの形で「痛みを感じている」事を私が理解して初めて、(少なくとも私には)現れてくるからです。あるいは、こう言い換えることができるでしょう、「他人の痛みを理解する」とは他人が持つ「あの痛み」を、私を苦しめる所の例の疼くような刺すような吐き気がするような「この痛み」を「私が感じる」ということではなくて、その他人が発する「俺は痛みを感じている」というメッセージを私が理解するということではないか、と言うことです。「他人の痛みがわからない奴」というのは、のた打ち回ってる奴を見て「あ、こいつは踊っているのか」という解釈をする奴のことであって、のた打ち回る奴の痛みを「感じない」奴のことではありません。
_ 私の痛みに関して言えば、それは確かに痛いです。しかし、それは極めて端的に「痛い」のであって、そもそも理解の対象ではないでしょう。「私の痛みを理解する」ということが可能であるとすれば、のた打ち回る私の体の動きやうめき声や「痛い!」という叫びから客観的に(=他人の視点と同じ視点で見て)「私は痛いことを表現していて、私にはそれが理解できる」という、ちょっと奇妙な事態でのみ可能でしょう。
_ 例えば、それは「痛みの演技」をする役者が自己の演技の最中にその出来について考えるのと似ている事態です。この役者が「あの疼くような例の痛み」を感じている必要性はない(別段感じていても構わないのですが)のです。それを敷衍して考えると、他人について私に求められるのは、彼の痛みを「あの例の疼くような痛み」として私が感じるのではなくて、彼が痛みを私に伝えてくる一連の表現に対して適切な理解を示すことです。ここで「適切な理解」とは救急車を呼ぶとか、とりあえず慰めの言葉をかけるとか、演技は止めろと突込みを入れるとか、そういったことです。
_ 以上。……上手く言えてるかなぁ。わけわからんとかあったら、突っ込みいれてください。ちなみに卒論テーマは「ウィトゲンシュタインにおける私的言語の問題」でして。上記の記述は私が理解する所のそれです。必ずしも(俺的)ウィトゲンシュタインに私は全面的肯定を持っているわけではないので、そこんところはご注意を。
_ なお私的言語、とは。発明した本人にしか理解されない言語のことです。例えば、私をたびたび襲う(食い過ぎ時の)腹痛を感じたとき、私は常に「むひょろぽう」という発語をし、ノートや日記に記述する、とか。ウィトゲンシュタインはそんな事は不可能であると主張してその根拠に、ある感覚を持ったときに「むひょろぽう」というべきか、普通に「痛い!」というべきか、他人には理解されない以上正当化できないとしています。そこには「正当である」と「正当であると思われる」とに区別がつかないし、そうなればそんなものは正当化されえないからです。
_ ……あー、最後の段落も違いそうだな。これじゃクリプケンシュタイン(クリプキの理解するウィトゲンシュタイン)だ。
_ 雪駄さんに「すげーC.Fさん向きじゃん」とまでいわれ、薦められたのが昨日、一昨日の話。今日、バイトから部屋に戻ってみると郵便受けに封筒が。開けてみるとCDと雑誌のコピーが。いや、知らせは受けてたんですけどね。ちょっとネタ的になってるので。
_ で、やってみる。……そういうことかリリン。(誤)
_ 確かに雪駄さんが日記でリンクした辺りの話には通じます。真面目に語ることもできるでしょう。が、しかし。(根本的には)別の部分に足取られすぎ<俺。これはやばいでしょー。どこまでも見透かされてます。主人公の内省の言葉とか、WAではただの文章として流れ去っていったのに、ここでは素晴らしい勢いで突き刺さります。
_ 確かに某所で語りまくったのは私だけど、そこまで見越しての「C.Fさん向け」だろうか。だとしたら、いつか仕返しをして差し上げますので(にっこり)。……しかし、一方で見透かされてうれしいのも事実なのだけど。
_ で、雪駄さんに「C.Fさん向け」の真意と経緯を確かめる。……来月、遊びに伺いますので、どうぞよろしく。ええ。Wayneさんとも相談して。
_ まぁ、この件はともかく。去年出した(やりすぎ気味な)同人誌「残余」に書いた事がうっかり届いてしまった方には雪駄さんの薦める方法(これ重要)でプレイすることをお勧めします。私自身はOPも見ていないのですが。(PUSHの記事と体験版。ちなみにこれ、編集の意志がきちんと記事と体験版の内容に反映されていて、個人的には好印象。)
_ 去年やった雪駄さんとの一連の話とか、その辺を受けて色々語りたいけど。WEBでは発売日までは待つことにします。聞きたい人はIRCかメール辺りでどぞ。
_ googleからこの検索をかけてくる人が急増。どっかで課題でも出たかな。検索結果で該当するレポート「大森荘蔵「他我問題に訣別」について」を一応上げ。内容的にはそれなりに不満はないのだけど、専門的に過ぎるかと思って上げてなかったのだが。
_ Lv.51。毎朝2〜3時間ほどHa遺跡やVH遺跡で修行の旅に連れ出してもらったおかげで、順調にレベルアップ中。OFFではようやくNo遺跡を終了。敵が強いんじゃなくて、遺跡は時間的に長いんだよなぁ。結果、DFはさっくり倒されましたとさ。
_ 大学をふらふらしていたら、掲示板にて発見。明日からせんだいメディアテークで開催だそうで。
_ とりあえず、一緒に行ってくれる人募集中。メディアテークを見たいといっていた人とか。ゲーム関連の評論やってる人とか。期間中通りがかる人とか。仙台在住の人とか。
_ 家(大学)からバイト先までの中途にある立地なので、私は何度か行ってもいいなぁ。市立図書館併設だしね。
_ あ、近くにMOS(定禅寺通店)あるよ。
_ とりあえず、初日だし行くかー。ってんで、朝9時過ぎに出撃。MOSで朝飯(アイスカフェモカM、テリヤキチキン、グリーンサラダ)を食して、10時ごろメディアテーク着。
_ が。初日は13時のテープカット後、開場だったことが判明。7階に回って、National Geographic DVD「大西洋に眠る戦艦ビスマルク」を見る。ちょっとばかり連合軍寄りの内容かな。勝者の余裕的部分も含めて。
_ 12時過ぎに1階の喫茶コーナーで昼食。TVゲーム展のカタログ(というよりも評論文集?)を眺めつつ、クロワッサンx4とアイスコーヒー。
_ ようやく13時になったのでテープカットを眺めて、入場。13時ごろまでに集まった人間は無料らしい。んで、内容。ちょっとばかり散漫な印象かなぁ。小学生(+保護者)が多かったせいかゲームをやるところになってしまっていた感がある。せめて保護者には、コントローラの変遷とかの展示を見させる工夫があっても良かったんじゃないかな。Computer Space(Nutting, 1971)とかAsteroids(Atari, 1979)とか、我らの世代にとっては伝説的なゲームを触れたのは良し。ゲームについて語るよりも、ゲームをやるほうが重要だしね。読売の記者にちょっと質問受けたりしたあと、14時過ぎに退散。外は暑かった。
_ とりあえず、1人で行くよりは複数人で行くべき所かもしれません。つーわけで、やっぱり同行者募集中。
_ 評論文集?なカタログは結構良い出来かと思った。問題はお値段かな(税込み3,000円)。ISBN付いてるけど、AmazonJPでは検索できないな。
_ 「BIT GENERATION 2000 テレビゲーム展」【 amazon / bk1 】
_ メディアテークの1階で売っているので、入用な人は連絡を。
_ 命名、akarin。以前の486機もakarinでハードの一部を供出させるなどしてるから、super akarinといった所か。語呂の良い機体名が他に思いつかなかったりしてたのだが、dayomonというのもなかなかだなぁ、と思ってみたり。
_ FreeBSD(98)4.3R-Rev.1を入れてNAT箱に。INT(IRQ)がやたら競合したけど、SC-98III(bs0)、LA/T-98(ed7)、SV-98/2-B05/B06(lcn0)を何とか共存させる。lcn0をLAN側にして、ed7上にPPPoEを乗っけてtun0がWAN側という状況。
_ まず、カーネルをPPPoE対応にリビルドする。んで、/etc/ppp/ppp.confをPPPoE用に書き直し。MTUを1440にして、デフォルトで有効になってるらしいが一応という事で、enable tcpmssfixupする。後は普通にPPPoE+NAT。
_ うまく繋がる事を確認した上で/etc/rc.confにpppを起動時に立ち上げるよう書き込んで、ついでにipfwも設定。実験用のキャラを作ってPSOnしてみるも、夕方JP1-1-1ロビーで安定動作。
_ ipfwの方はwwwとsshだけ残して封鎖。ただ、wwwはまだApacheを入れてないので暫定的に封鎖中。vncやらperlやらrubyなぞも入れたので、休み中帰省していても最低限の事はできそうだ。最悪、vnc2段重ねでLANにあるWin機もいじれるし。
_ 11時過ぎ。選挙に行った帰りにドトールでベーグルチキンとニューヨークチーズケーキをテイクアウトしてきて、自室でブランチ。
_
date fmを流していたら、赤坂泰彦の番組"Heart Beat Style"で、こんな感じな曲が。
Rod Stewart - The Best Days Of My Life
今井 美樹 - 潮騒
_ やっぱ、今の所、私にとって至上の時期は高3の夏から大学入って1年ぐらいだろうか。そういう時期に環境の変化が起こったのは多分非常に幸運な事で。変化する事が日常において当然のことといて前提されていると、日常と変化とがうまく同居できる。
_ 進学のための試験の日程は4年前とほぼ変わらないのだけど、その準備のための日程が全く違ってきていて、それは当然の事でありつつ、一方で意識の面で全く当時に間に合っていないというのはやはり問題。
_ あ。問題とか言ってるばかりで何もしないのが一番ダメな所なのだけど。
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