_ 朝から恵比寿。中田さんと10時に待ち合わせていたが、通常14時出勤の中田さんが当然来れる(起きれる)はずもなく遅刻だった。15時過ぎのSSLで帰宅したが、休日なのでSSL特別快速は恵比寿通過で普通逗子行を20分待ち。
_ 頭20分ぐらいは置く。カラスさんきたー。ちょっと離れてみて追って来たら〜はあったのに、覚悟はできてる?はなかったのが残念ではあるが。3回残してAirに突入したのでさらに期待してみる。
_ 最近仕事でドキュメントを書くことが多い。今までだと、適当に脳内で整理->適当なメモだけ残して終了、だったのがそれなりに人に見せる形に仕上げなきゃならない。お客さんとの調整事項でも、適当なメモを元に話す->ヒアリングして調整完了->確定事項を後でメール、といった手抜き手順では済まないで、先方に選択肢提示のシート作り->説明->確定ドキュメント、ぐらいは必要になる。もちろん、そのためのコストや体制が見込まれていれば、この方が正しい。
_ 仕事以外でも、最近は特に誰かから求められなければテキストを書かなくなっているので(そしてそれは長期戦略的にはたぶん不利なので)、いい機会だと思うべきなんだろう。多分。
_ 4月頭に引っ越します。引越し先は今の部屋から200mぐらい。母親の事務所と同居するので、電話とかアクセスラインとかネットワーク構成とか考えないと。
_
手続き列挙
・不動産屋:退去日通知
・市役所:住民票・下水道
・県庁:住所変更(医療費関係)
・県営水道:上水道
・NTT:現状フレッツ解約・Bフレ引き込み・電話関係
・東京電力:電気
・東京ガス:ガス
・鎌倉ケーブル:CATV
・かもめインターネット:/29サービスの変更
・IIJmio:動的IPサービスの変更
・郵便局:転送・住所変更
・銀行:住所変更
・病院:住所変更
・職場:住所変更
_ 引越し先は4/1から使えるので、引越し先の設備を整えつつ、16・17で今の部屋を引き払うかな、と考えてる。
_ 先週期待したほどの攻撃性はなかったか。冒頭の3rdインパクト風の赤い海と、手を振る子供たちは素直に良かったのだが。ポテト、佳乃、遠野さんの登場は普通。その後のハイペースさは特にどうでもいいのだが、ゴール連呼する往人さんは無用だったな。
_ ゴールまでしか頑張らなくて良い感じだ。頑張るのはゴールのためではないし、「お前のそばにいるだけで良かったのに」の解釈問題か。「傍にいる」と「笑っていろ」が人としては達成不可能で、そのためにからすという「存在しながら、いない」黒子の姿となったわけだけど、それは同時に翼あるものという同一性を(以下略。
_ そんな感じで細かい機微にうるさい向きには不評であろう今週のAirでした。
_ 例によってthen-dさんに誘われて。サイトや劇場の煽りは新興宗教話が中心だが、本質は普通に少年少女のロードムービー。とりあえず谷村美月(由希)がやばかった。
_ 子供を中心に見るなら、そこで行われたことは単に虐待で、その場が教団なのか家庭なのかという差でしかない。そういう点では光一(教団)と由希(家庭)の差はない。時折描かれる教団に関係するすべて(「加害者」も「被害者」も)に対する社会からの抑圧は教団の例のほうが大きいだろうが、売春で金を得ようとする由希の生活そのものも社会からの抑圧であり暴力だろう。
_ ありふれた表現だが、教団での虐待という大きな暴力が家庭の中にまで入り込んできた例が由希の例であり、10年という歳月がたった現在においてより重要なのは後者なのではないか。親・カルト教団・社会といった大きな敵と戦った光一が大いなる敗北の末に得る大いなる悟りは、失笑ものの過剰な演出(外見の変化)とともに、皮肉ですらない絶望のように思える。それは大きな敵に対する明確な敗北、自らも大きなものを得るという敗北である。
_ それゆえに、むしろ現在の僕らが共感できるのは、由希の方であり、由希を覆い続ける私的で閉塞感あふれる見通しの悪さである。世間的には由希の世界観をセカイ系と呼び、一方で「カナリア」の物語を「開かれている」と評する。だが、10年前のオウムの記憶を風化させないという意志は、そのまま60年前の戦争の記憶を維持しようとする意志にも通じる。そうした「大きな物語」へと人々を組み込もうとする意志こそ、カルト教団の意志であり、子供に対する意志ではなかったか。
_ 「子供は親を選べないのに、親は子供を選ぶのか」という由希の叫びはむしろ「カナリア」という物語に帰ってくるのではないか。より正確には「カナリア」を作る・見るという行為における意志に対して戻ってくるのではないか。
_ まぁ、そういうわけで真面目にとると二流の説教なので、普通にロードムービーとして捉えるのが良いと思う。っていうか、谷村美月がやばい。ローティーンの(以下略
_ 火曜日に井門の委託品で入手したもの。HiGrade製品なので基本的な作りは良いのだけど、連結面間隔が狭すぎてR243をクリアできません。同じカプラーでも50系とかキハ120はクリアできるんだけど。まぁ、R243のトラックでは20m級車両はスケール感が微妙なので、気にしない。
_ 観鈴と晴子の話。話として必要なのはわかってるが、本質的に興味のない部分なので流し。10話のラストで往人さんが出てきた時点でかなり醒めてしまったかも。最終回に期待するのだが、やはりアニメとゲームは違うのか。いきなり映画館の中や街中の実写画像が出てこなくてもやれることはあるとは思うんだが。
_ こんなヘッダのメールが来た。
Received: from mx01.mail.goo.ne.jp (251.106.150.220.ap.yournet.ne.jp [220.150.106.251])by mail523.nifty.com
with SMTP id j2N4KV27012185 for <*******@nifty.com>;
Wed, 23 Mar 2005 13:20:42 +0900
Date: Wed, 23 Mar 2005 13:20:42 +0900
From: t@bardiel.niu.ne.jp, "[*******nifty.com]"@bardiel.niu.ne.jp
_ Recievedフィールドは分かるとして、Fromはどっかで補完されたんだろうか。(******は伏字および文字化け)
_ ところで、先日来た例のUFJの件のメールは妙に遅延していたが、こんなものだろうか。
Received: from unknown (HELO ms02.ufjbank.co.jp) (210.128.155.15)
by ******.niu.ne.jp
with SMTP;
19 Mar 2005 02:16:22 +0900
Received: (qmail 7510 invoked from network);
18 Mar 2005 13:52:44 +0900
Received: from unknown (HELO ufjbank.co.jp) (127.0.0.1)
by 0
with SMTP;
18 Mar 2005 13:52:44 +0900
To: お客様各位
From: UFJ銀行
Subject: UFJ銀行を偽装した電子メール詐欺について
_ 多分数百万ぐらいのユーザー数はいるだろうから、ちょっと気合入れたqmailのサーバ1台で送ればそのぐらい時間かかるだろうけど。速報性が必要な内容でこれだとちょい厳しくないですかね。qmailってあたりが急場に準備した感漂ってる気もする。
_
アニメ版Airに対する違和感の源泉は次の二つである。
1, ゲーム版におけるプレイヤーとアニメ版における視聴者の位置づけが異なる。
2, 1の差異により、特にAir篇の位置づけが大きく変わっている。
_ 1の点については改めて指摘するまでもないだろう。ゲーム版においてはプレイヤーは往人であったり、そらであった。より正確には彼らの視点と意志を共有した。一方、アニメ版の視聴者は常に外部にある視点は常に登場人物の外側に設定され、彼らの意志はただ表出によってのみ知られる。つまり、プレイヤーは「往人と共に決断する」のであるが、視聴者は「往人の決断を知る」のである。
_ 1の点を考えれば、2の点については明白であろう。Air篇にはそらというDream篇には存在しなかったものが登場する。そして、そらは往人の意志を継ぐものとして設定されている。つまり、次の三者が等しく往人として振舞う。
_ ここで、ゲーム版においては往人と視点と意志を共有するプレイヤーが存在し、この三者に関与している。すなわち、ゲーム版・アニメ版での、彼らの関係は以下のようになる。
「Dream篇の往人」 +---- (往人) -----> 「Air篇の往人」
|
+ (プレイヤー) --+
|
(カラス) ----+> 「Air篇のそら」
「Dream篇の往人」 ------------------> 「Air篇のそら」
(新たに現れた往人) -----> 「Air篇の往人」
_ この差異が顕著に現れるのが、アニメ版11話ラストシーンでの往人(そら)の登場である。この場面では、Dream篇での往人がそらとして戻ってきた事が観鈴に告げられる。この場面は「Dream篇の往人」がそのまま「Air篇のそら」であるアニメ版に特有の場面である。
_ ゲーム版では、そのような場面は存在しない。「お前のそばにいて、お前が笑うのを観ていれば」というDream篇での意志は、往人がそらになる事からではなく、プレイヤーの視点と意志の共有の場が往人からそらへ移ることによって、Air篇へ引き継がれるからである。ゲーム版において、そらは「そばにいて笑うのを観ている」だけのカラスでしかない。
_ この差異によって、Air篇の別の場面の意味も大きく変わっている。たとえば、ラストでそらが飛び立つ場面はゲーム版では、プレイヤーと視点と意志を共有するそらが飛び立つことで、Airというゲームの場へのプレイヤーの別れを象徴する。しかし、アニメ版の場合には、そらになった往人が飛び立つという意味の取りにくい場面になってしまう。
_ このようにゲーム版とアニメ版での往人とそらの関係の差異はAir篇の位置づけを変化させており、これが特にゲーム版に思い入れの強い人間が得る違和感のひとつの源泉と思われる。
_
参考テキスト
「プレイヤーの視点について 〜AIR・AIR篇を中心に〜」
「GD#収録テキスト」のゲームに関するテキスト
_ ヴェスヴィオ火山の噴火とポンペイの壊滅の四日間という、タイトルの通りの作品。大体において紀元1世紀のローマ帝国案内なので、小説的な面白さというよりは良質な教養書の面白さがある。ポンペイの将来を占った巫女の見たものが素敵。
彼女は町を見た、いまから何年もあとの、われわれの町を。千年後、ことによるともっとあとかもしれない。……世界中で有名になっている都市を見た。われわれの神殿、われわれの円形闘技場、われわれの街路----あらゆる国の言葉を話す人々が押し寄せてきている。……皇帝たちが土に返り、帝国が滅んだはるか後になっても、われわれがここに立てたものは残っているのだ。(P.318)
+ スギモト 『おたく展があと1週間遅くやってたら見に行けたのに… 簡素なモデリングなのにテクスチャとして写真貼り付けてリアルに見せてる割り切りっぷりのいい(TVではそう見えた)オタク部屋ジオラマとか見たかったです。』