『いまさら翼といわれても』は千反田えるの物語になるだろうか。
ある休日、折木は市の合唱祭の会場から千反田が突如消えたという連絡を伊原から受ける。千反田は何を思い、どこへ消えたのか。というのが今回の前篇だ。
物語の冒頭には、自宅で合唱曲の練習をしていた千反田が父に「だいじな話をするときによく使う部屋」に呼ばれるシーンが書かれ、また事件の導入部には伊原が遭遇した「甘すぎるコーヒー」を出す喫茶店の謎が置かれている。
さて、短編の『遠まわりする雛』の終盤、千反田はこう語っていた。
どんなルートを辿っても、私の終着点は、ここ。ここなんです。
わたしはここに戻ることを、嫌だとも悲しいとも思っていません。
(『遠まわりする雛』, 文庫版, p.404-405)
アニメ『氷菓』のクライマックスでもある。
この場面、高校二年生の春を迎える四月、千反田にとって将来は明確だった。大学に進学し、新たな学を得て、いつか再び千反田の家へ、最高に美しくも可能性に満ちているわけでもない神山市陣出へ戻っていく、という将来である。
『遠まわりする雛』ではその言葉に触れた折木は、ある言葉を身の内に秘めることになる。
『いまさら翼といわれても』は、この千反田が抱く将来を改めて問い直す話になるのだろう。前篇のクライマックスでは「放生の月」と題された合唱曲の歌詞が引かれる。美声を誇る籠の鳥を自由の空に放つことを歌う詩は、千反田にどのような思いを抱かせたのか。
あるいは、導入の「甘すぎるコーヒー」のくだり、甘い砂糖の原料になる変わった品種を里志に問われた千反田はこう答える。
「残念ですが、知りません。砂糖黍も甜菜もうちでは作っていないので……」
「そうかあ。いつか作ったりしないのかな」
その途端、千反田がわずかに目を伏せた。
「……わかりません。すみません」
(『いまさら翼といわれても 前篇』, 小説野性時代 146, p.47)
『遠まわりする雛』で「より商品価値の高い作物を他に先駆けて作ることで、皆で豊かになる方法」(『遠まわりする雛』, 文庫版, p.406)と語っていた千反田が、このように答えるのである。
千反田はなぜ会場から消えたのか、消えた千反田はどこへ行ったのか、後篇で与えられる解を待つ。